11/22 「性癖大爆発♥光・闇の創作BLコンテスト」結果発表!
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2024/10/25 16:00
あらすじ
神託により異世界に召喚された少年・モモは、2年という歳月を経て見事に国を再建した。しかし、ようやく元の世界へと帰ろうとした矢先、少年への愛故に狂気を宿したその国の王に枷をつけられ鎖で繋がれ、王室の奥深くへと囲われてしまった。 友の手を借りて逃亡を図るも、それを許さぬ王に捕まり、友を殺され、自らの足の腱も切られ再び連れ戻されてしまう。 ままならぬ愛に狂っていく王と、ままならぬ恋に苦しむ少年の話。
※こちらの作品は性描写がございます※
どこまでも深く求める、細部まで。
少しの逃げ場さえも縫い留め、隙間さえも塞ぎ尽くす。
骨の髄までむしゃぶり尽くそうとしてしまうこの貪欲な感情を、一体なんと呼べばいいのだろう。
確かなことは、この想いは「恋」の一言では片づけられないものであるということだけだ。
恋であれば、優しい想いだけを与えられる。だがエイダンの抱く想いはそうではない。
小さくて華奢なその体に自分自身を刻み込みたくてしょうがない。たとえどんな手を使っても、どれほどの犠牲を払っても、だ。
そして刻み込めないのならば、その細い首を締めあげたいとさえ思う。
膨れ上がる残酷な破壊衝動のまま、いっそのこと他の誰もその目に映さぬようその黒い瞳をえぐり取ってしまいたい。
誰にも奪われぬよう細い手足を切り取り、自分無しでは一切生きられない身体にしてしまいたい。
日々、そんなことすらも考える。
自分に、こんな常軌を逸脱した猟奇的な側面があるとは思いもしなかった。このエイダンが、己の力では抑えきれない感情に振り回されることになろうとは。
エイダンはどちらかと言えば性に淡泊な方だった。正妻以外の側室を持つことはあれど、それは立場上仕方なくだ。もちろん部屋を訪れ、それぞれ側室の女たちと身体を重ねることだってある。そうでもしないと他国から嫁いできた姫たちの間で軋轢が生まれ、外交問題に発展するからだ。
血を分けた子どもだとて既に何人かはいる。正妻はもちろんのこと、満遍なくすべての側室たちにも子を産ませるために、一人の女に執着せず、全員を平等に慈しんでいた。
一人の女に骨抜きにされ民を苦しめ国を傾かせる愚か者にはなるまいと、幼き頃より心を律して来た。
冷静に、思考を冷やし周囲の動向を観察する。理性を最後まで保ち的確な命令を下す。権力に溺れず、恐怖にも、絶望にも、性というものに支配されない。
それがこの世界の賢王として生きる、エイダン・リードバルドと言う存在だった。
自分の行動を理性で抑え、感情を押し殺すことなど造作もなかった。自分はそれができる人間であると、思い込んでいた。そう思っていたのだ。
この少年に出会うまでは。
「モモ」
部屋に戻ると真っ暗だった。
いつものことながら内心で小さく溜息をつき、エイダンは部屋の隅に置いてあるランプに火をつけた。
ぼうっと揺れるした視界に入ってきたのは、暗闇に溶ける黒い髪。絢爛豪華な部屋の中で、その色は多少異質ではあった。
エイダンにとっては、誰よりも愛しい色なのだけれども。
「モモ、返事をしてくれ」
エイダンの想い人は、大きなベッドの上で膝を抱えて蹲っていた。気配を殺すように、とても静かに。その体は微動だにもしない。
華奢な体にゆっくりと近寄る。エイダンが側に来ても少年は顔を膝に埋めたまま顔を上げすらもしなかった。返事など言わずもがなだ。
慣れたことだ、これは仕方ないことなのだ。
エイダンはベッドに腰掛け、そっとモモの肩に手を添えた。服の下の肌は冷えていた。
「こんな薄着では風邪を引くぞ」
努めて穏やかな声でモモに声を掛けながら、手に持っていた食事をサイドテーブルの上に置く。
どれも、一般の庶民であれば食べられないようなものばかりだ。この国の王室貴族でさえ、祝賀等でしか口にすることが出来ない。
遥か遠く、他国から取り寄せた珍しい食べ物もある。どれもモモの生まれ故郷に似ている東の国からわざわざ輸入した代物だ。
「モモ、今日は君が懐かしいと思うような食べ物も取り寄せてみたんだ。口に合うといいが」
この白い粒のような食べ物も、エイダンからしてみたらよくわからない代物だ。硬くて、味もしない。料理長に指示を出しミルクで煮て柔らかくしてみたはいいものの、どうにもモモが以前話してくれた食べ物とは程遠い気がする。だが、モモに作り方を聞けない今手探りで作るしかない。
王の権力を笠に着て、一人の人間のために国の財政を潰すわけにはいかない。しかし、モモに関心を持ってもらいたい一心で食べ物で釣るという極端な行為をエイダンは繰り返していた。
そうすることでしか、モモの精神を留めて置くことが出来ないとわかっていた。
貧しい国民であれば一度は憧れるであろう高価な絹で出来た服や、貴金属や宝石など、モモは一切欲しくないと言う。
着飾るためだけに石ころに金を使うだなんて馬鹿じゃないのか、それだったら国の再建のために水道でも整備して国民の喉を潤せ、と宝石を強請る側室の一人に激しい叱責を食らわせていたモモの姿に、一瞬にしてエイダンは落ちたのだ。モモという人間の真っ直ぐさに。
モモはいつも有言実行の人間だった。神託によって異世界から強制的に召喚された黒髪黒目の小柄な少年は、最初は元の世界に帰りたいと切望し苦しんでいたようだが、枯れた大地が広がるこの国の悲惨な現状を知ってからは憂いの眼差しを見せ、自分に出来ることをと知識や力を出し惜しまず精一杯この国に尽くしてくれた。
1000年に一人と言われている異世界から召喚された少年だ。願えばなんでも手に入る地位であるというのに、国民と同じような質素な服装で、泥にまみれ、垢にまみれ、貧しい人々のために奔走してくれた。
そのお陰でこの国はだいぶ建て直した。枯れた大地に水が戻り、草木が戻った。今は内戦も起きず、安定した治世を保っている。
だから、もうモモがその身を削ってこの世界に残ることなど、しなくていい。
それを、エイダンは受け入れられなかった。
「食べられるか? 今の季節が一番うまい果物も用意したんだ。ほら……」
なんとかこちらを向いて欲しくて急いたように声をかければ、モモはやっと顔をあげた。
のろのろと、ひどく緩慢な動作で腕の中から顔を覗かせる。その濁った真っ暗な瞳がサイドテーブルに広げられたものを見る。
いや、見るというよりも視界に入れたというほうが正しいのかもしれない。ぼんやりと焦点の合わない虚ろな瞳は、視界に映ったものを眺めているだけだ。その証拠に、モモの瞳はさほどの関心もないままにゆったりと瞬かれた。
けれどもエイダンは、そんなことでも嬉しかった。
モモの興味が食事に向いたことに、暗い喜びが胸の中に広がった。
「ほら、エイロンだ。モモの世界では確か……めろん、だったか?」
モモの肩に手を添えながら、耳元で優しく囁く。
細い肩だった。少し力を込めれば直ぐに折れてしまいそうな程の。
本当はモモの好きなスイカという果物を用意したかったのだが、この国にそんな果物はない。唯一形や大きさが似ているとモモが笑いながら教えてくれたものが、このエイロンだった。
黄色くみずみずしい果肉には甘さがたっぷり入っている。モモはこれを美味いと言って食べてくれた。それも、もう一年も前の話になるけれど。
ここまで甘いエイロンは、滅多にお目にかかれない。モモのためにエイダンが栽培させたのだ。国の金を、使って。
一年前のモモであれば、そんな下らないことに金を使うなとエイダンを一喝でもしていただろうが、今はそんなことすら言ってくれない。エイダンと目を合わせようともしない。
喜んで頂けるといいですねと、儚く笑んだ作り手もモモの優しさに触れた一人だった。
「これは栽培した中で一番甘かったエイロンだ、失敗作も出来てしまったんだが……」
モモは小柄だが、あちらの世界ではかなりの運動をしていたようで、それなりにほどよい筋肉に包まれていた。
皮で出来たエイロンくらいの大きさの丸い球を蹴り飛ばし、互いの籠に入れて点数を競い合うというなんとも珍妙な運動をしていたらしい。
モモは、フォワアドという強い地位にいたんだと以前嬉しそうに話してくれていた。モモはとても足が速かった。
だが、今はその足もただ細いだけだ。筋肉も削げ落ちて棒のようだった。食欲の落ちたモモに毎日きちんと食べさせているつもりなのだが、か細い体は日に日に痩せ細ってきている。
精神的な負担が大きいこともあるだろうが、一番の理由は別にある。
モモの両足首には一筋の深い傷があった。そしてそこに、重い枷までも巻き付いている。
モモの体をこんな風にした人でなしを捜す必要はない。もちろん、犯人を罰することもだ。この国では誰も犯人を裁くことなど出来やしない。当たり前だ。
犯人は、他でもないエイダン自身なのだから。
モモの足首の腱を切り、それでは飽き足らず、エイダンにしか解けない詠唱を使って枷を嵌め、鎖を巻き付けこの部屋に閉じ込めた。
モモはもう自力で走り回るどころか、自分の力で部屋の中を歩き回ることすらも叶わない。仲良くなったこの国の子供たちと、球を蹴り合って遊ぶことも。
手洗い場や風呂場に行くときもエイダンが抱きかかえて連れて行く。モモはエイダン無しでは生きられない哀れな体になった。それなのに、いっそのこと腱を切るだけではなく両手両足も切り取ってしまいたいと思ってしまうのだからエイダンも重症だ。ほとほと自分に呆れる。
エイダンはモモに死ぬほど嫌われ、途方もなく憎まれていることだろう。
「いいのが出来たと連絡を受けてな。直ぐに受け取りにいってきた」
モモをそっと引き寄せると、モモはぽすんとエイダンに体重を預けてきた。受け入れられたわけではない、抵抗する気力がないだけだろう。
ふわりと香るモモの匂いに、このままモモの体調も考えずにこの甘い体を暴いてしまいたくなる熱い衝動に駆られる。だが、抱いた腕に力を籠めることで抑えた。
今日こそは無理矢理抱かずに優しくしようと心に誓ったのだ。
懸命にモモに話しかけて、少しでもモモと会話をしようと。一年前のように、モモに僅かでいいから笑ってもらおうと。
決して苦しませたいわけではないのだ。
ただモモを傍に置くために理性を手放した結果、モモに地獄を味わわせることになった。
自由を奪いこの広い部屋に閉じ込めた。これ以上身勝手にモモを求めれば、モモは確実に壊れてしまう。もっとも、もう既に壊れていると言っても過言ではないのだろうが。
元気に人々と触れ合い、王宮の外の世界を走り回っていた勇ましいモモはもういない。
今のモモは生きながらに死者のようだ。エイダンの心に僅かな痛みが広がっていく。
だが、モモの手足につけた枷を取る気は、ない。
「……食べたくない」
やっと口を開いたモモの声はひどくしゃがれていた。
エイダンは影の差すモモの顔を覗きこんだ。頬はこけ、目の下の隈も酷く生気が感じられない。もうずっとモモの顔は土気色だった。それでも毎晩、エイダンはモモを抱き潰すことを止められなかった。
エイダンが執務に追われ部屋を訪れられない間、モモは何もしていないらしい。エイダンが用意した本を読むこともなく、ただベッドに寝そべったり、今のように膝を抱えてぼうっと大きな窓から見える景色を日がな一日中眺めている。
えくぼが深まる笑みも浮かべず、静かに佇んでいる。
「……この白い食べ物もか、東から取り寄せたんだ。コメ、という奴に似ているだろう」
「食べたくない。腹減って、ない……」
エイダンに抱き締められながら美しい食器を眺めるモモの瞳は、絶望に膿んでいた。
「そう、か」
消沈したエイダンをよそに、モモは再び膝を抱えこんで沈黙した。こうなればもう会話どころではない。一年前まではモモと沢山色々なことを話したというのに、今ではもうモモとのまともな会話の仕方さえも思い出せなくなっていた。
「モモ、他にほしいものはないか。なんでもいい、言ってくれ」
「……なんで、も?」
ぽつりと零したモモに身を乗り出す。一度会話が途絶えた後モモがこうして反応を返してくれることは滅多にない。なんとかモモに意識して貰おうと、モモの背を優しく撫でる。
「そうだ、なんでもだ。モモのためならなんでも用意しよう。美味い料理も、宝石も、どんなものでも揃えてやる」
きっとエイダンは、モモが一言望みさえすれば他国さえも滅ぼすことが出来るだろう。モモがそんなことを望むような人間ではないことが、この国にとっての救いだった。
「スニー……カー……」
数秒押し黙ったモモがやっと口を開いたと思ったが、耳に飛び込んできたのは聞きなれない単語だった。
「スニーカとは、なんだ」
モモの柔らかな髪を撫でながらエイダンは問うた。スニーカとはモモのいた世界にあったものだろうか、エイダンの知らない単語を口にするモモに微かな苛立ちを覚えてしまう。
だが、似たようなものがこの世界にあえば地の果てでも探し出して揃えてやろうと思うくらいには、エイダンはモモに狂っていた。
「食べ物か、宝石か、服か」
「……違う、靴」
「──靴?」
モモが一瞬の躊躇の後、小さく頷いた。モモの肩を抱く手に力が籠る。
「靴。サッカー、してえな……」
ちりりと、神経が焼き切れる音がした。虚ろな目を細め、どこか遠くを見つめながら少しだけ口元をほころばせたモモにエイダンは口をきつく閉ざした。
サッカーとは、モモが元いた世界でよくしていた運動だ。あの、球を蹴る妙な遊び。
「コーチ、元気に、してっかな……みんなも、もう卒業、したかな……」
かつて、そんな子どものような遊びよりも乗馬や狩りのほうが百倍楽しいじゃないかとモモを馬鹿にしたエイダンに、モモは後ろから蹴りを入れてきた。
他の者であれば不敬罪で死刑すらも免れない悪行だが、エイダンはモモのそんな愚行を許していた。
モモが、あまりにも楽しそうに笑い、エイダンにじゃれつくから。
「必要、ないだろう」
「……え」
「お前の足はもう動かん。サッカーなんぞ出来るわけがない」
自分でも驚くほどに冷たい声が出た。一気に機嫌が下がったエイダンに、ひくりとモモの喉が上下する。ゆるゆると潤んでいく瞳に哀れさが募るが、モモに対して湧きあがって来た昏い感情は止まらない。エイダンの傍にいるというのに、いつまで経っても元の世界に固執するモモに苛立ちさえ覚えていた。
コーチとはモモのなんだ。知り合いか。もう二度と戻れないというのに、モモはエイダンの前でエイダンの知らない人間の話をする。それは家族であったり、友人であったり、それ以外の者であったり。
二人がこんな関係になる前、帰りたいなと、空を見上げながらポツリと呟いていたモモに、エイダンはいつも焦燥感を抱いていた。
「靴などあってどうする。逃げたいのか、俺から」
モモは今にも泣き出しそうな顔で眉を下げ、ぎゅっとシーツを握った。違う、と首を振る動作に、すっとエイダンの心が冷えていく。
こんなにもモモが愛おしいのに、ふいに同じくらいモモが憎くてたまらなくなる。何をどう足掻いてもエイダンに同じ想いを返してくれないこの少年の首を、時折酷く締め上げてしまいたくなるのだ。
モモが誰かに殺されそうになった時は、その前にエイダンがモモを殺す。モモが、モモ自身の命を絶とうとするならば自死など選べぬように心を完膚無きまでに壊すか手足と舌を切り取る。
モモが死に絶えるその時でさえ、その綺麗な黒い瞳に最後まで映るのはエイダンであるべきだ。そしてその後、エイダンはモモの後を追う。
エイダンが死ぬ時はもちろんモモを連れて逝く。どんなにモモが泣き叫び、嫌がってもだ。
今世でも来世でも違う世界であっても、エイダンはモモを手放す気はない。
「──許さないからな、モモ。俺から離れることは」
モモに靴は履かせていない。歩くことが出来ないモモにそんなものを与える必要はない。
モモが本当に欲しているものなど聞かずともわかりきっている。自由と解放だ。しかしエイダンにはそれだけは叶えてやることは出来ない。叶えてやる気も、微塵たりともなかった。
そうでなければ、ここまで非道な手を使ってモモを手に入れた意味がない。
モモが唯一、元の世界に帰る方法。
それは、この世界に来た時の私物を身にまとい、王宮の奥に広がる泉に入ることだ。
だからまず広い泉を壊した。源泉があったとて代々伝わる泉そのものがなければ効力を発揮しない。それなりの人数を集めて一日で石を砕き、水をくみ上げ、干からびさせた。
モモの私物は全て処分した。四角く固い、遠い場所にいる人間と会話が出来るという不可思議な異物は粉々に壊した。モモが着ていたセーフクという服や、下着、カバン、その他のものも灰にした。
モモの本名──『モモタハルキ』という名が書かれた小さな本すらも、破いて焼いた。
モモは、この国を救うために尽力した結果、力を使い過ぎて死に絶えたということにしてある。国を挙げての葬儀も終わった。モモはもう彼方の世界にも、この国にもいない存在だ。
モモが生きていられるのはエイダンの傍でだけだ。モモの手足を枷で拘束し閉じ込めている王宮の最上階、その奥にあつらえた部屋にはエイダンしか入れない。
王宮にいる使用人たちにも命を下してある。モモが生きていることは誰にも言うな、もしも命に背けば家族諸共死刑だと。
半年以上前に、エイダンの命に背いた男が一人だけいた。モモと一番仲が良かった男だ。
あろうことかモモを連れて逃げようとした。そしてモモはあの男について行った。
見せしめに使用人とモモの前でその男とその母親を処分した時から、モモはより一層塞ぎ込むようになった。
モモの両足の腱を切ったのもその時だった。もう二度と、エイダンから逃げられないよう
ここにいるのは彼方の世界で生まれ育ったモモタハルキという少年ではない。
神託によって召喚され、持ち前の明るさで国民から慕われ、ハルキと呼ばれていた少年でもない。
エイダンのためだけに存在する──モモだ。
「乗馬であれば、明日にでも私有地に連れて行こう。俺が乗せてやる」
乗馬、という単語にモモはぴくりと反応した。だがそれは乗馬をしたいからでないだろう。その証拠にモモはくしゃりと顔を歪め、ぎゅっときつく目を瞑った。
今のモモがもう自分の力で乗れもしない乗馬を心の底から楽しめるはずもない。それでも、モモの望みとあらばエイダンはモモを抱き込んで、何時間でも駆けてやれる。
けれどもその前に、今モモが脳裏に描いた人物を突き止める必要がある。
「モモ。今誰のことを考えた……?」
急激に冷えたエイダンの視線に、モモの体が目に見えて硬直した。かたかたと震えだす肩に、はっと渇いた笑いが漏れる。
あからさまな答えにどろどろとした感情が湧きあがり、エイダンの心が闇に支配されていく。
****
モモは綺麗な笑顔を見せながら、エイダンの心をズタズタに切り裂いた。
『エイダン、俺、次の満月が来る前に還るよ』
『──還る、元の世界にか』
『うん、出来ることなら明日にでも』
それは、神託を占った巫女から説明を受けた直後のことだった。
次の満月の夜までに彼方の世界に戻ってしまえば、モモはもう二度とこの世界に帰って来られなくなる。けれども次の満月が過ぎた後に泉に入れば、こちらとあちらの世界を繋ぐ道は塞がれずに満月の夜に限り行き来できるようになる、と。
エイダンはてっきり、モモは次の満月が過ぎてから戻るものだと思っていた。それは他の人間も同様だった。そうしなければモモは二度とこの世界に来られなくなる。
それはつまり、エイダンとモモとの今生の別れを意味する。
『なぜ……次の満月を過ぎてからでも』
『俺、もうこの世界に戻って来る気ねえから』
モモの迷いのない声に、エイダンは自分の足元を支える地面がバラバラと崩れていく音を聞いた。聞こえていないのは目の前のモモだけだ。
『約束したもんな、国が落ち着いたら還らせてくれるって』
『それは、そうだが……しかし』
『もーやることもないし、国は安泰だし。還るよ』
からりとしたモモのセリフも、エイダンの耳にはまともに入って来なくて。
『ごめんエイダン。俺、決めたから』
ただ、真っ直ぐにエイダンを見上げる黒い瞳を見つめることしか出来なかった。モモの穢れの無い瞳にエイダンは何度も救われた。けれども、この目を受け入れることはとてもじゃないが出来なかった。
『なぜだ……モモ。俺たちのことが嫌だったのか』
モモは頑固だ。一度決めたことを覆すことはしない。
『そんなわけないじゃん! ここで出会った人たちのことはもちろん大好きだよ──エイダンのことも。元の世界に戻っても忘れない。そりゃ、最初は突然わけわかんねえところに連れて来られて、世界を救えー! とか言われてめちゃくちゃビビったたけどさ……』
ふ、とモモが笑った。愛おし気で柔らかな笑みだった。エイダンの好きな、モモの笑みだ。
『この二年間この世界で得た経験は、俺にとっての宝だよ。たぶん、一生の』
『では……』
そんなことを言うくらいなら、なぜ。
『アスティンに、背中押してもらったんだ』
『……アスティン?』
身分の差を気にすることなく誰とでも対等に話すモモは、優しいアスティンをまるで兄のように慕っていた。そしてアスティンもモモを弟のように可愛がっていた、はずなのだが。
『背中を押してもらったとは、なにを』
『なーいしょ。エイダンには教えてやんねー』
そう言って内緒話でもするように首を傾けたモモは、頬を僅かに赤らめていた。それでいて、今にも消えてしまいそうな儚げな笑みを浮かべるものだから、エイダンにはわかってしまった。
モモはアスティンに、親愛の情以外の感情を抱いているのだと。
そんなアスティンに説得されたせいで、モモは元の世界へ還ることに決めたのだと。
『あ、そういえばエイダン、新しい側室二人迎えるんだって? すげえよなあ、これで今の奥さんって十四人? はは、ハーレムって奴だよな。仲良くやれよ。エイダンのさ、全員を平等に扱って、しっかりこの国の王であろうとする姿勢がさ、俺は好きだよ──本当に、好きだよ』
エイダンも、モモが好きだった。モモの言うものとは違う意味で。
この国では同性婚は認められていない。エイダンとて、同性にこういった感情を抱いたことは初めてだった。この時モモは十五歳でエイダンは三十一歳だっだ。歳は離れているが、エイダンはモモに本気で恋をしていた。政略結婚で無理矢理相手を愛しいと思い込むよう努力しているわけでもなく、性欲のままに彼に欲を覚えるでもなく、ただモモという人間に惹かれていた。愛していた。
幼い頃より英才教育を受け、国の王としての務めを果たすべく決められた妻たちを娶り子を作り、歪みない人生を送ってきたエイダンにとって、モモという存在は異質で、初恋だった。
真っ直ぐで純粋で芯の通った優しい男の子に、エイダンはどうしようもないほどに恋焦がれていた。エイダンにとってモモは唯一無二だ。それこそ、国を捨てることさえ出来るほどに。
そして、モモに優しく接するエイダンに、モモも懐いてくれていたはずだ。少なくとも嫌われてはいなかった。けれども。
『エイダン、今までありがとうな。俺シングルマザーの家庭でさ、恥ずかしくて言えなかったけど、何ていうかエイダンのこと……父親みたいだと思ってた。だから幸せになってくれよ。子どもたちもちゃんと育てろよ?』
無邪気にエイダンに駆け寄ってきていた理由が、そんなものだったとは。
モモに気持ちを伝えることはせず彼を見守ってきた。最初は価値観の違いから衝突することもあったけれども、互いを認め合い、いい関係を築いてきた。
慈しんできたつもりだった。
今はこれでいい、全てが終わったらゆっくりと愛を囁いていこうと。そしてさあこれからだという矢先に、モモはこの世界との関係を綺麗さっぱり断つことを選んだ。
モモにとって、エイダンはそれだけの存在だったのだ。
──ああ。
この時の感情をどう表すことが出来るだろうか。頭に血が昇っていた。
ただ、脳内はやけに冷静だった。
いつも通りモモの頭を撫でながら、お前は一度決めたら聞かないからな、わかった、と苦笑して見せて。うん、ありがとうと頷いたモモの背を見送って。
そして───後ろからモモを殴りつけて、昏倒させた。
意識を失いごろりと転がったモモを抱き抱え歩き出した。向かう先は、先代が愛する妻を閉じ込めていた恐ろしい王宮の奥の部屋だ。
父のようにはなるまいと己を律し、生きてきた。しかしエイダンを駆り立てたのはどうしようもないほどの歪んだ愛情だった。狂気とも呼べるほどの。
自分は、母への愛に狂っていた父の血をしっかりと継いでいるのだとこの時初めて自覚した。これまでは想いをぶつける相手が見つからなかっただけなのだと。
いつかこの感情がモモのみならず、エイダン自身mそしてやっと安寧を迎えた国をも焼き尽くすということはわかっていても、止めることなどできやしなかった。
エイダンは、モモに飢えていた。
****
『どういう、つもりだよ、エイダン……!』
目が覚めてから驚愕に瞳を震わせたモモは、食ってかかる勢いのままエイダンに詰め寄った。どうやら昏倒させられたことをしっかり覚えていたらしい。
が、手足に絡みつく枷が鎖でベッドに繋がれていることに気づいた途端、唇を戦慄かせて混乱したようにベッドに沈んだ。
『な、なんだよこれ……エイダン?』
エイダンを見上げる瞳は、怯えに彩られていた。
『お前は今日から死ぬまで、この部屋で暮らす』
『……は?』
『もう二度と、元の世界へ還ることは許さない』
一息に吐き捨てる。剣呑に揺らめいたエイダンの瞳にモモは息を呑んだ。
『なんだよ……それ。なあ、冗談だろ<』
モモの口元が少し引き攣っているように見えるのは気のせいではないだろう。この期に及んでまだエイダンを信じているとでも言うつもりか。
父親などというそんな安っぽい信頼など、エイダンが本当に欲しているものではない。
『疑うのなら逃げればいい。尤も、お前が元の世界に還ることはもう不可能だがな』
『……え? それって、どういう』
『あの泉は壊した』
『……は?』
ぽかんと口を開けたモモに、冗談などではないと淀んだ笑みを頬に浮かべて見せる。
『お前が目覚めるまで一日経った。その間にあの泉は壊した。そしてお前の私物もほとんど処分した。もうお前は二度と元の世界へは戻れない』
『な……に、言ってんだよ』
ふらりと首を振ったモモがベッドの上で後退った。その顔は青を通り越して蒼白だった。それもそうだろう。唯一信頼していた人物に無残にも裏切られたのだから。
しかしそんなモモの姿を見ても、止めようとは少しも思わなかった。それどころか、やっと手に入ったという残酷な安堵感が広がるばかりだ。
もう少しはやくこうしておけばよかったと思えるほどに。
『なにを、ね』
エイダンを先に裏切ったのはモモの方だと、身勝手にもそう思っていた。ゆっくりと椅子から立ち上がる。モモはさらに後退したが、壁にとんと背中を打ち付け逃げ場を失った。
『お前が悪いんだ、元の世界へ還るだなんて言うから』
大きな両腕で小柄なモモを囲う。エイダンに見下ろされたモモの上には真っ黒な影が出来ていた。自分の心の闇を見ているかのようだった。
するりと、モモの丸い頬を撫ぜる。モモの口元はもう引き攣っていなかった。ただ茫然とエイダンを見上げている。
モモが今まで見たことがないほどの顔を、エイダンはしているに違いない。
『俺のものになれ、モモ』
エイダンは怯えるモモを押さえつけて圧し掛かり、獣のように荒々しく唇に齧り付いた。
ずっと触れてみたかったモモの唇。乾いていて潤いはなかったが、それでも十二分に瑞々しくて甘かった。
案の定モモは激しく抵抗した。枷に繋がれ自由の利かない足や手を振り上げ、エイダンから逃れようと身を捩った。しかしエイダンの一言で一瞬にして静かになった。
『抵抗したければ抵抗しろ。だが、俺を拒めばアスティンがどうなるかわかっているな』
非情なセリフに、モモはエイダンの本気を感じとったらしい。実際本気だった。モモを手にいれるためならばモモの大事な人間を一人ずつ消していくことなど簡単だ。
エイダンはこの国の王なのだ。人の命などどうとでも扱える。
今のエイダンにとって、モモ以外の存在は塵に等しかった。
たとえそれが、血を分けた我が子であったとしても。
『な、んでアスティンが』
『好きなのだろう、あれが』
『え? な……ち、違う!』
恋心を抱く相手を守るため必死になるその姿は、確かに憐れみを誘うものではあった。しかし恋に狂ったエイダンにとってそれはただの火種に過ぎない。自分以外の男を擁護しようと必死になるモモの姿など見たくなかった。
しかもそれが、エイダンが十五の時に側室に産ませた実子であるなど、想像したくもなかった。
『違う? どの口が……あんな顔をしておいて』
『違う! 俺が、俺が好きなのは……!』
ぐっと唇を噛みしめて俯いたモモに冷笑を浮かべる。モモを求めるエイダンの前で口にするのは憚られるのだろう、エイダンの子どもを愛しているだなんて。
押し黙ったモモの顎を持ち上げ、再びゆっくりと口づけを落とす。モモはろくな抵抗も出来ずに、放心したかのようにエイダンの行動をただ目で追った。
至近距離からモモの黒い瞳を見つめる。
これまで見て来たどの宝石よりも美しく、吸い込まれてしまいそうだと思った。実際、モモのこの瞳にエイダンは狂わされ、理性の全てを吸い込まれてしまったのだろう。
『もしも俺の傍から逃げ出そうとすれば、お前の目の前でアスティンを殺す』
モモの色を失った唇が、ひくりと痙攣した。
『もちろん母親もだ。アスティンの血縁者は全て殺す──俺以外のな』
モモの綺麗な宝石から一筋の涙が零れた。それが合図となった。
大人しくなったモモを性急にベッドに押さえつけ、組み敷いた。ひたすら強張る体の服を破き、現れた綺麗な肢体にごくりと喉を鳴らす。細いが骨ばっていて、決して女性的な曲線を描いているわけでもない。豊満な胸もない。けれどもこれまで抱いて来たどの女よりもむしゃぶりつきたくて堪らなかった。
飢えた獣のように、無我夢中でその身体を暴いた。時折モモは弱弱しい抵抗も見せたが、じゃら、と鈍い音を奏でる枷の存在を思い出すたび、唇を噛みしめて恥辱に耐えた。
エイダンは前戯もそこそこに、モモの両腿を割り裂きまだ誰も受け入れたことのないそこを貫いた。本来受け入れるべき器官ではない蕾に、エイダンの脈打つ太い陰茎を強引に奥まで埋め込む。
『い──やだァ、ぁああッ……!』
モモの喉から迸った悲鳴と、あまりの締め付けに煽られどんどんと腰が進んで行く。当然の如く結合部からは真っ赤な血が溢れた。
もちろんそれは無理な挿入に切れただけだったのだが、エイダンにはそれがモモの純潔の証に見えて、少しだけ心が満たされた。
俺のものだ。
エイダンは歪んだ笑みを浮かべた。
これは、俺のものだ。
男とも女とも、まだ誰とも交わったことのない無垢な体に、湯水のように膨れ上がる興奮と肉欲と、高揚感。
モモは─────俺のものだ。
本能に突き動かされるまま、エイダンはモモを求めた。細い足を抱え上げ、何度も何度も奥を抉り、吐きだしては引き抜いてまだまだ萎えぬそれを突き入れて、また交わる。
まさに、嵐のような狂乱だった。
エイダンはこの時、確かに獣だった。何度モモの体内を味わっても快楽に果てがなかった。モモの体にいくら噛み痕や鬱血痕を残しても、深く貪ることを止められなかった。
二年間のモモへの想いを、迸る熱と共にモモにぶつけた。
初めの頃こそ痛みに泣き呻いていたモモは、そのうち何の反応もしなくなった。
がむしゃらに腰を振るエイダンにガクガクと揺さぶられながら、大きな窓から零れる月明かりに照らされた白い天井をぼうっと眺めていた。
濁ってしまった黒い宝石。そこから溢れる幾筋もの雫を舐めとりながら、エイダンは朝日が昇り始めるまでモモの体を食い荒らした。
女に種を注ぎ命を生み出すためでもなく、エイダンという一人の男として、モモという存在を求めて精を吐き出し続けた。
『安心しろ。時々はここから出してやろう。むろん、その枷は付けたままだがな』
もう後戻りはできなかった。モモから与えられていた信頼も、愛情も、家族愛も、全てエイダンが壊した。だからこそモモにとっての最後の絶望をその場で見せつけた。
『モモ、見ろ。これがお前の最後の私物だ』
放心した状態で股から血を流し、だらりと腕をベッドから放り投げたモモが、疲れ果てた顔でエイダンに視線を移した。僅かに見開かれた瞳。せいとてちょう……とモモが小さな声で呟いた。そうだ、確かそんな名前のものだった。だがもう、どうでもいい。
ベッドに鎖で繋がれているため、モモがエイダンの傍に来ることは出来ない。
暖炉に火をくべ、紙でできた小さな本をびりりと破き火の中に放って見せる。わざと一枚ずつ大きな音を立て、モモの瞳にその光景がしっかりと刻み込まれるように。
『モモタハルキ』と書かれた文字と、モモの似顔絵──モモが言うにはしゃしん、というやつらしいが──も続けざまに破き、炎の中に破り捨てた。
ごうごうと燃え盛る炎に焼かれて、モモが彼方の世界で生きていた証はあっという間に灰になった。
モモの体がベッドに沈んだ。顔を伏せている。泣いているのかもしれない。
これでもう、彼方の世界で生きたモモタハルキはいなくなった。あとは国民や神官共に愛されたハルキだけ。それも消してしまえば、モモはエイダンだけのものになる。
だというのに、死んだモモのために国を挙げての葬儀を終えた後、モモは逃げだした。
他でもない、エイダンの息子のアスティンと共に。
***
「……モモ、答えろ。今、誰のことを考えたんだ」
「誰の、ことも……考えて、ない」
ふるりとモモが首を振った。その表情に含まれているのは痛ましいほどの悲しみだ。
あれから半年以上。未だにモモにこんな顔をさせるあの男が憎い。モモとよく乗馬を楽しんでいたあの男。
「アスティンのことか」
くっと唇の端を吊り上げて見せる。モモは面白いくらいに肩を震わせた。
「……ち、ちがう」
「嘘をつけ」
「ぁ……」
ぐいとモモの手首を拘束した枷を引っ張る。モモがよろりとエイダンに傾いた。
「鎖の長さを、調節する必要がありそうだな……」
モモが鼻を啜った。モモの剥き出しの恐怖を感じても、モモを解放してやろうという気持ちにはなれない。モモの足の腱を切ってから、どうせ歩くことも出来ないのだからと鎖を長くしてやった。モモの精神状態が極限に達していると金を抱かせた主治医に提言され、せめて見える範囲の鎖だけでも長くすれば心も落ち着くのではという配慮をしたことも要因の一つだ。
けれども、言うに事欠いて靴が欲しいだなんて。狂い過ぎて足の腱を切られていることを一瞬でも忘れていたのか。それともまだどうにかして逃亡を図ろうとしているのか。
今度は一人で。
「ほんとに、誰も……エイダンの、こと、だけだ……」
例え自由を制限されても、死んだ男の名誉を必死に守ろうとするその懸命な姿。それは、エイダンの嫉妬心を煽るには十分すぎるものだった。
モモは周りのためならばとことん自分を犠牲にする性格の人間だ。そんなモモだからこそこんなにも恋焦がれたというのに、モモの優しい心根に苛立ちが抑えられない。なぜその優しさが自分には向かないのかとモモに問い詰めたくなってしまう。
国民から慕われている賢王が聞いて呆れる。モモの前では理性など無いに等しい。あれほど国のことを考えていたエイダンは、モモのせいでどこまでも自分勝手な男になってしまった。
妻たちやエイダンに仕える者たちですら、もうエイダンを止めることは出来ない。
「ごめん……ごめんなさい……」
モモがしゃくり上げ始めた。その謝罪はエイダンに向いているものではない。モモを犯している最中、彼が無意識に助けを呼ぶ相手に対してのものだろう。
死して尚もモモを縛り付ける、忌々しい我が息子。
『エイダン!』
モモの必死の呼びかけにエイダンは答えなかった。すらりと剣を抜き、近衛兵に押さえつけられた息子の首筋に鋭い切っ先を添える。
『待って、やめてくれ! エイダン! エイダン……!』
泣き叫びながら、拘束から逃れようとするモモを一瞥することすらなく、エイダンはアスティンを見降ろした。見事な逃亡劇を図った二人は、あと一歩のところで近衛兵に捕らえられた。
逃げ切ることが出来ないということぐらい、モモはともかくアスティンはわかっていただろうに。どの子どもよりも優秀だった王子はモモのせいでバカになったのか。それとも、もしかしてうまくいくかもしれないという一縷の望みにかけたのだろうか。
愛するモモを助けるためにがむしゃらに突っ走る。確かにアスティンは王子よりも騎士に向いていたのかもしれない。エイダンの命によりアスティンに仕えていた男が、かつてエイダンに言っていたように。
『アスティン王子はとても優秀です。剣技にも優れていらっしゃる。王を支えるよき力となりましょう』
そう言ってアスティンを褒め湛え、アスティンを可愛がっていた男はもういない。王宮の扉の前で血だまりの中で死に絶えている。切って捨てたのはエイダン自身だ。
息子のように思っているアスティンのために身体を張った男だったが、数多の近衛兵に押さえつけられればいくら武芸に長けた男であっても呆気なかった。
血に濡れたエイダンの剣に、モモもアスティンも全てを察しているのだろう。味方は全滅したと。近衛兵に押さえつけられ下を向いているアスティンからは血が垂れている。唇を、血が出るほど噛みしめているに違いなかった。
『モモ』
顔をモモの方へは向けずに、モモに声をかける。
『俺は確かに言ったぞ、もしも逃げようとすればアスティンがどうなるかわかっているなと』
『お、俺が! 俺がアスティンに頼んだんだ、逃がしてくれって! そうじゃないとエイダンに頼み込んで死刑にするぞって! アスティンは俺に脅されてただけだ!』
『ふん、わかりやすい嘘を』
なんとも陳腐なセリフだ。
『お前がそんなバカげた脅しなんぞ使えるはずがない──そうだろう? アスティン』
下を向いたままのアスティンの頬に、剣の先を添える。アスティンはゆっくりと顔を上げた。アスティンの母親は側室だが、その顔はエイダンの少年時代によく似ていた。目の色も髪の色も。だからこそ、自分に似た男を選んだモモに激しい怒りを覚えた。
『お前脅されたのか? モモに』
『……僕がハルキに? は、戯言を、父上』
『アスティン?』
モモの悲痛な叫びに、アスティンは笑って見せた。
『ハルキにそんなことが出来るはずもない……それは父上が一番ご存知でしょうに』
仕えていた臣下を殺されてもなお、この堂々たる態度。肝の据わった男だ。だからこそ、アスティンが一番王としての素質を備えていた。
正妻が産んだのは女だった。アスティンを次の王にとの声はとても多かった。エイダンとてそう思っていた。だが今、そんな未来は潰えることになる。
『……なぜ王命に背き、モモを攫った』
『父上こそ、なぜハルキを閉じ込めるのです』
アスティンの目に、剣呑な炎が煌めいた。
『なぜハルキをこのような目に遭わせるのです、このままではハルキが壊れてしまいます』
顔色一つ変えないエイダンに、アスティンは強く歯を噛みしめた。
『泉を壊し、ハルキの還る術を消し去り、ハルキを鎖に繋ぎ傍に囲うことが父上の幸せなのですか……なんとも愚かな』
『ではお前は、ハルキのために俺に逆らったと?』
『いいえ、自分のためです』
遠くで、アスティンを呼ぶモモの声がする。くぐもっているのは誰かがモモの口を押さえたからだろう。エイダンがそう命じた。モモの柔らかな声は好きだが、自分以外の名を呼ぶモモの声は、はらわたが煮えくり返るほどに忌々しい。
『僕はハルキが好きだ。だからハルキをこれ以上、辛い目に合わせる父上が許せなかった』
なんとも崇高なセリフだ。彼こそ、本来の王に相応しい男なのかもしれない。もしもエイダンの子がアスティンではなく、アスティンの子がエイダンだったのなら。アスティンは王としてモモを現世に還していただろう。そしてエイダンはそれを許せず、アスティンに背き──アスティンに殺されていたのかもしれない。
そんな在りもしないことを考えてしまう自分に、エイダンは笑った。その笑みをどう捉えたのか、アスティンが自分を押さえ付ける近衛兵を振り払う勢いで身を乗り出した。
『父上、ハルキをこれ以上苦しめないでください! 僕は貴方を誰よりも尊敬していた、誇り高く、民を大切にし、子を愛し妻を愛し、治世を正しく治める王としての父上が!』
『──アスティン』
アスティンの絶叫は、確かにエイダンに響いた。が、エイダンにとっての唯一はモモだ──モモだけ、なのだ。
『お前に何を言われようと、この場でお前を処刑することは決まっている。俺の唯一を奪おうとした罰だ』
後ろでモモが何かを唸った。暴れまわるモモを押さえつけようと近衛兵も必死だ。なにしろ、モモに傷一つでも付けたらエイダンの怒りを買う。
このままではエイダンはモモの体に触れただけの近衛兵たちまで刺し殺してしまうかもしれない。だから、はやく事を納める必要があった。
どこまでも、エイダンとモモのために。
『だがその前に、お前の罪をお前と……モモに見せてやろう』
怪訝そうな顔をしたアスティンから剣をどかせ、扉の前に控える近衛兵に命じる。
『連れて来い』
顔を引き攣らせた近衛兵の数人が、扉を開けた。そこから現れた人物に、これまで冷や汗を流しながらも口角に笑みさえ浮かべていたアスティンも、流石に唖然とせざるをえなかったようだ。それもそうだろう。
『は、はうえ……』
茫然としているアスティン。
ちらりとモモを見る。モモは近衛兵の手に噛み付き拘束から逃れた。
『エイ、ダンッ……!』
そして、顔をぐしゃりと歪めると歯を食い縛りながら唸るように叫んだ。悲痛な叫びだった。
モモの脳内にはきっと、あの日のエイダンの言葉が蘇っているに違いない。
──逃げようとすれば、アスティンと、その血縁者を殺すというエイダンの言葉が。
アスティンの血縁者で一番近い存在は、父親であるエイダンとアスティンの母親──つまりエイダンの側室、ジェーンだけだ。ジェーンは他国から嫁いできた姫だ。彼女の残りの血縁者はこの国にはいない。だからこそ命拾いしたともいえる。この国にジェーンの家族がいれば、それこそエイダンは一族諸共命を奪っていただろう。モモの目の前で。
まさかここまでするとは、モモも思っていなかったのだろう。ガタガタと震えている。エイダンのモモへの想いの強さを、モモ自身が見破れなかったのがそもそもの原因だ。
モモのためなら、今のエイダンは悪鬼にも愚王にも──それこそ魔王にもなれる。なれて、しまうのだ。モモを逃がさぬためならどんな手でも使う。
落ちていく先が地獄であっても、構わない。
『エイダン様……っ』
鈴のような高い声で、ジェーンはエイダンを呼んだ。
『なぜ、なぜそのような子どもごときに! エイダン様!』
美しい貌が涙で汚れ、化粧が崩れている。ジェーンは相変わらず煌びやかな格好をしていた。無類の宝石好きのこの側室は、モモに一度叱責を受けたことがあり、それ以降モモを目の敵にしていた。
小さな嫌がらせも行っていたという。だがそれはほんの小さな嫌がらせだ。慈愛を持つ女とは言い難い側室ではあったが、死を以て贖うべきものでもない。
けれどもジェーンは今からエイダンに殺される。
『わたくしは、貴方様に誠心誠意仕えてきました……貴方のために、子まで成した……貴方は、アスティンの誕生を喜んでくださいました! それなのに、なぜ!』
今回のことと、アスティンの母親は直接の関係はないだろうが、息子のアスティンがモモを逃がすという計画を練っていたことを知ってはいたようだ。
知りつつ、咎めなかった。
それがモモや息子を想ってのことなのか、それともモモに恋焦がれているエイダンの寵愛をもう一度受けるためなのかはわからない。そのどちらであっても関係がない。彼女の未来は変わらないのだから。
エイダンからモモを奪えばこうなるのだという、見せしめが必要だ。
『そんな子どもに、心奪われて……王よ!』
『母上……! 父上、おやめください!』
すらりと剣を翳して、ジェーンの前に立つ。ジェーンが目を見開き、絶叫しながら逃げ出そうと暴れまわる。そこに深窓の姫であったというプライドも何もあったものではない。
ただの女だ。高貴な血筋に生まれてしまっただけの、死を怖がり嫉妬心を持ち綺麗なものに目がなく、家のためにエイダンの子を産み母となった一人の女。
普通の、人間。
エイダンに嫁いでしまったばかりに──哀れだった。
『俺からモモを奪うなら、その血縁者を殺すと命じていただろう』
『エ……エイダン、やめて、エイダン、エイダン! やめて! ジェーンを殺さないでくれ!』
『父上おやめください! 母上は関係ない! 父上! いやだ……母上!』
モモとアスティンの身を切るような叫びに、一瞬だけエイダンの手が止まった。
『ジェーン』
『ひっ……』
確かに何度も交わった。子を成すために。政略結婚ではあったが。エイダンにしんなりと寄りかかり、愛を囁くジェーンに愛らしさを感じたこともある。
他国から招いた姫だ。側室の一人ではあったがエイダンなりに、大切に扱ってきた。欲しいと強請るものも与えてきた。そして王としての素質を持つアスティンを産んでくれた。
側室という立場でありながら、王位継承に一番近い聡明な息子を産んだ。それがジェーンの、生きがいだった。だがもう遅い。エイダンはジェーンが慕った昔のエイダンではない。
モモに狂った、エイダンなのだ。
『恨むならアスティンを恨め』
ジェーンが茫然と抵抗を止めた。エイダンの目に本気を見たのだろう。
『見ろ、モモ』
『えい、だん……やめろ、エイダン……!』
こんな時でさえ、エイダンが意識を向けるのは今から命を奪おうとしている妻でもなく、母を助けようと身を捩るその息子でもなく、涙を流し続けるモモなのだから。
『──これがお前の罪だ』
『母上ッ……』
『エイダン様、そんな、エイダッ──ぎゃ』
苦しませるつもりはなかった。心の臓を一突き。
『あす……てぃ……』
口からこぷりと血を流し、床に倒れ伏したジェーンの最後の言葉は、愛しい息子の名だった。ずるりと剣を抜き取り、溢れる血の中で息絶えたジェーンを放置し、母親の亡骸を見つめながらくたりと力を失ったままのアスティンの傍へ向かう。
誰も何も言わなかった。近衛兵ですら唖然としていた。
いつまでも叫び続けているのはモモだけだ。
『ははうえ……』
唯一の母親を父親に殺されて、アスティンは抵抗の一切をやめていた。虚ろな瞳で、母親の血に濡れた剣をただ見つめていた。
『アスティン、次はお前だ』
『エイダン! お願いっ……もう逃げない、逃げないから! エイダンのものになるから! 頼むから……!』
『モモ、よく見ておけ。お前のせいでアスティンは死ぬ』
『や……めて、ねが……やめろ! なんでもする、なんでもするから……お願いアスティンを殺さないで!』
『お前の愛した男がな』
『エイダン! やめて、やめ──ッ』
アスティンが視線だけをモモに向けた。笑ったのか、それとも違う瞳をモモに向けたのか。髪に隠れていて顔は見えなかった。ただモモはアスティンと見つめ合い、一瞬だけ声を失った。
エイダンの中で膨れ上がったのは、激しい嫉妬心だった。
『いやだぁああああ……?』
モモの叫びは届かなかった。
アスティンの前髪を強引に上げさせ、迷うことなく一息に首を掻っ切る。溢れた鮮血がエイダンの服に飛び散り、アスティンが力なく崩れ落ちた。
どくどくと溢れる血に、アスティンの目がきょろりと動いた。血が噴き出る口元が僅かに震える。最後にアスティンが呼んだのは、エイダンか、母親か、それともモモか。
びくびくと痙攣していた身体が、動かなくなった。エイダンは空を見上げ数秒目を瞑った。
アスティンは二人目の子だった。生まれたばかりのアスティンを抱き上げたあの日。無邪気なアスティンを膝に乗せ執務をこなしたあの日。剣を振るうアスティンの勇士に、目を見張ったあの日。父上のようになります、とアスティンが誇り高く誓ったあの日。そのどれもが瞼の裏に焼き付き──直ぐにモモの微笑みへと変わった。
『……モモ』
俺は狂っていたのだと、息子を手に掛けたこの瞬間、エイダンは深く自覚した。初めて触れた己の心の深淵に歎き笑った。
子を産ませた妻も、愛を持って慈しんでいた息子も、モモの笑顔には敵いやしない。
恐ろしいほどの愛、恐ろしいほどの恋。こんな小さな少年に、エイダンの心は全て奪われていた。今なら母を閉じ込め、エイダンにほとんど会わせてくれなかった父の凶行も心の底から理解できる。
エイダンと同じように父も、自分の子どもにすら嫉妬していたのだと。
『モモ、愛しいモモ。見ろ、お前が逃げ出そうとしたせいで二人死んだ』
ろくな言葉も紡げず、唇を震わせ洪水のような涙を零し、倒れ込んだ二人を眺めるモモの隣に跪く。するりと愛らしい頬を撫ぜ、ちゅ、とその頬に口づけを送る。
エイダンの手に付いた血が、モモの頬を濡らした。
この場にいる者たちは何も言わない。否、何も言えないのだろう。モモを押さえ込む数人の近衛兵の手が、ガタガタと震えている。明日は我が身だと、思っているに違いない。近衛兵にモモを離せと命じ、そっとモモを抱き込む。
手足を縛られているため、モモはなんなくエイダンの腕の中に納まった。
その甘い髪に顔を埋め、エイダンは囁いた。
『二度と逃げられぬよう、お前の足を切る』
血に濡れた剣を一度布でふき取り、後ろからモモの両足首に剣を添える。モモはエイダンの耳元で何か囁いた。
どうしてと、モモは呟いたのかもしれない。
『もう、逃げるなよ……』
愛おし気にモモを抱きしめ、白い足首の裏に添えた剣を横に切り裂いた。びくりと跳ねたモモの体を押さえ込み、強くえぐる。ぐ、とモモの喉が苦痛に唸り、引き攣った。
真っ直ぐに腱を切り終わってから剣を床に投げ捨て、激痛に唇を噛みしめたモモの唇に唇を重ねた。モモは腕をだらりと下げた状態で身動ぎ一つもしなかった。唇を噛み切っていたのだろう、血の味がした。
『……医者を呼べ、止血する』
動けぬ周囲に命ずる。
『早くしろ。そこの遺体も片付けろ』
二度目の命令で周囲が動いた。打ち捨てられた二つの遺体を丁寧に包み、抱え上げ運び出す。医者が着くまで、エイダンはモモを強く抱き締めていた。
国民には賊が侵入し二人を殺したと説明し、喪に服させた。神託を受けこの国を救った少年に続き、偉大な息子とその妻までもと、国民は深く嘆き悲しんだ。
だが、王宮の中はそうではない。王が少年への愛故に乱心し、側室の一人と実子を──しかもアスティン王子とその側近を殺したという話は直ぐに広まった。
これで、モモを連れて逃げ出そうとする輩はいなくなった。モモに少しでも関われば、否、モモを手放せとエイダンに提言しようものなら、たとえ妻であっても子どもたちであっても王に手打ちにされる。
誰も王には逆らえない。エイダンは満足していた。
ジェーンとアスティンの喪が明けた後、王宮の運営はこれまで通りつつがなく行われていた。モモさえ王から奪おうとしなければ、エイダンの王としての執務も妻たちや子どもたちへの態度もこれまで通りだ。王が修羅と化すのはモモに関してだけだ。
張り詰めた糸を、切ろうとするものは誰もいなかった。
****
「ごめんなさい……ごめ……」
ごめんなさい、と謝罪を繰り返し涙を流すモモに、やめろと命ずる。しかしモモは虚ろな目で同じ言葉を繰り返すばかりだ。もうその目はエイダンさえ見ていない。エイダンを見て、笑ってもくれない。
ジェーンとアスティンをモモの目の前で殺したその瞬間から、モモは壊れてしまった。
エイダンは沸き上がる熱情のままモモをベッドに縫い付け、覆い被さった。
今日は衝動のまま組み敷くのではなく、真綿でくるむように丁寧に優しく、華奢な体の緊張がほぐれるまでキスの雨を降らせるのだと心に誓っていたが、そんな誓いなど綺麗さっぱり脳裏からはじき出していた。
モモはエイダンを視界から外すように目を瞑り、シーツに顔を押し付けた。エイダンの存在を消し去ろうとするモモの姿に抑えが効かなくなる。
上がる苦悶の声を無視し、血が浮き出る程に強く仰け反らせた首の喉仏に噛み付く。エイダンに身を委ねようとしないモモを喰らってしまえと、自分の細胞の全てがモモを求めて痺れる。つんと口内に広がる鉄の味すら甘いと感じる。常軌を逸脱していた。
これほどまでの想いを持てる自分に笑ってしまいそうになる。エイダン自身でさえコントロールすることが出来ないそれをモモはその細い体一つで受け止めているのだ。
苦しい、辛い、哀しいと。小さな体全てでモモは、エイダンに訴えかけていた。
わかっている。わかっているけれども、止められない。いい大人が十五の子ども相手に何をしているのかと誰に叱責を受けても、だ。
苦しいと思う権利は自分にはない。モモを苦しめているのはエイダンだ。しかし、モモに受け入れてもらえないつらさに、胸が押し潰されそうに痛むのもまた事実だった。
この少年を喰らうことはエイダンにとっての本能だった。それが、モモの心をさらにエイダンから引き離し、ずたずたに切り裂くことだとわかっていても、だ。
エイダンは、いくら王であろうとも人間だ。何人たりとも本能に抗うことはできない。他人を置き去りにしてでも、自身の欲を満たすために奔走する。
半ば自棄になって、モモの服を脱がしていく。ほとんど反応を示さなくなっていたモモが唯一反応らしい反応を示すのが、情事の時だ。過ぎる快楽に喘ぐモモ。例えそれが生理的な現象だったとしても、モモがエイダンの手や穿ちに反応を返してくるのが嬉しくて、エイダンはモモを貪ることを止められないでいた。
「やぁ、ひゃ……ぁ、ああ……」
モモの心地よい悲鳴を聞きながら、頭をうずめた下腹部にむしゃぶりつく。窄まった入口に指を突き入れ抜き差しを繰り返すたびに、柔い陰茎から甘い蜜がしとどに零れ口の中に染み込んでくる。これだけで喉の渇きを潤せそうだと思った。同性の男性器などしゃぶったことも咥えたこともなかったが、モモのであればなんであろうと舐めることが出来た。
「あっ……ぁああッ…ひ、ひ、あ……!」
モモの奥ははじめこそ狭まっていたものの、あっという間にエイダンの長い指を受け入れた。
舌全体でそそり起った幼い肉の茎に愛撫を施し、濡れた内部をかき回せば細い背がしなる。激しい水音を立てて震える肉芯をじゅうと啜れば、モモは目を?いて腰をガクガクと震わせた。強烈な快楽に思考がはじけ飛び、わけがわからなくなっている状態のモモにほくそ笑む。
「あ、あぅっ……いやぁあ……あんっ」
モモの胸先の二つの突起も、さんざん吸って噛みついたので今ではもうぷっくりと起ち上がっていた。あれほどまでに淡い色をしていたそれは熟れた果物のように赤く色づき、与えられる快感に触れてもいないのにひくひくと震えている。
モモの体は、もうエイダンの匂いが染みつき、エイダンの色に染まり切っていた。それでもまだ、飢えは治まらない。
「も、……あぁあッ……も、いやぁ……っ」
ぶるぶると黒い髪を振り乱すモモを一瞥し、一際大きく吸い上げてやる。モモの両脚は満足に動かない、シーツを蹴ることすら出来ない。がちゃんとモモの拘束された手首が軋み、痙攣するようにモモの臀部が跳ね上がり、モモはあっけなくエイダンの口の中に吐精した。一滴残らず吸い上げてやり、やっと与えられた甘い体液で喉を潤す。
へたりとシーツに体重を預けたモモの瞳は、もうどろどろに濁っていた。抵抗もできぬまま敏感な場所を溶かされ続けて、息も絶え絶えといった様子だった。
「モモ」
「ふ……ぁあ……」
両手にすっぽりと収まる小さな臀部をさらりと撫で、太ももの付け根を今まで以上に大きく開脚させる。ぶらりと宙に浮かんだ足を肩に抱えあげた。
エイダンの指に掻き回されたそこは、ぱくぱくと開閉していた。膨張したエイダンの熱い滾りを、今か今かと待ちわびているかのように蠢いている。ごくりと喉が鳴る。押さえつけた震えるうち腿に吸い付き赤い痕を残してから、ひたりと膨張しきった先端を入口に宛がう。
モモの体を征服するこの瞬間、いつも胸が高鳴る。今からモモの中をエイダンでいっぱいに出来るという劣情に背筋が震える。何度味わっても、同じくらいにモモが──いや、貫けば貫くほどモモが欲しくなる。欲求に果てがない。
執務をこなしている時であっても、いつも頭の中はモモの事ばかりだ。
この黒い瞳に、自分だけを映したい。この濡れた艶やかな黒色の髪を一本ずつ舐めしゃぶりたい。この小さな体の奥の奥にまで熱い肉欲を叩きこんで、完膚亡きまでに食らい尽くしたい。
エイダンの欲望は狂気だ。モモがほしくてほしくて、いっそ痛すぎた。
子を産ませるために何人の側室を抱いていてもそれは変わらない。モモの体を想像しながら腰を振り、子種を注ぐ。モモが女でなくて本当によかった。女であればエイダンは側室の部屋を訪れることはなく、モモはきっと孕みっぱなしだっただろう。
モモが男であるからこそ、モモ以外の妻をこれまで通り娶り抱いていた。それが義務だからだ。そういえば一昨日、丁度一年前に嫁いできた側室の一人が妊娠した。エイダンにとって九人目の子だ。
「ァ……あ、あふ」
「モモ、力を抜け」
くちゅりと、入れやすいように高まった欲望の根本を支える。そして太い切っ先をずぶりと埋め込んだ。
「……や、ぁあ……ああ──ッ!」
モモが喉の骨が浮き出るほどに大きく仰け反った。痛々しい悲鳴を無視し、無理矢理に腰を進ませてゆく。ずんっと、押し開くように真上から腰を落とす。そもそも男を受け入れるためにできている器官ではない上、モモの腕ほどはあろう巨大な肉棒を狭い蕾に突き入れられる苦しみは相当のものなのだろう。はくはくと口を開閉させたモモの黒い瞳はこぼれんばかりに大きく見開かれている。それでも、そんな呆けた顔ですら心の底から愛らしいと思う。
ゆるゆると抜き差しを繰り返しながら、入口を慣らしていく。入れる時はキツいが、モモの中はエイダンに慣れていた。直ぐにほろこび、快楽を拾う。その証拠に、モモはエイダンに挿入された瞬間にまた果てた。薄い腹部に散ったばかりの冷たい体液を指で掬い、せわしなく上下する剥き出しの胸の頂きに、それを塗り込める。
「や……ァ……あッ…う」
モモの瞳から洪水のようにあふれ出る滴をあやすように舐めとりながら腰を揺すり始める。
「あっ、あ…ぁ……あン」
モモが喉をしならせる。限界まで折り曲げられた脚が、エイダンの動きに合わせて肩越しにゆらゆらと揺れる。
「モモ……」
モモは最初の頃に比べて、快楽を追うのが上手になった。
あんなに狭くてキツかった頃が嘘のように、今では従順にエイダンを受け入れ、簡単な愛撫をしてやればみっともなく喘ぎ、直ぐに勃起するようにもなった。
モモを囲い監禁し手足の自由を奪ってから一年。モモの体は変わった、エイダンが変えた。
変わらないのは、モモとエイダンの関係だけだった。
モモはエイダンを愛してくれない。
「ひ、ぁあ……ッ」
首筋にエイダンの息がかかることすら耐えられないのか、モモがゆるゆると首を振った。その視線の先にあるのは白い天井だ。モモはエイダンに犯されている間、エイダンの目を見ることなく遠くを見ていた。
この部屋は天井が高く、ベッドも広く、風呂場も手洗い場も完備している。壁に施された模様も一流の建築で、宝石すらも埋め込まれている。装飾品だって値の張ったものばかりだ。エイダンの側室や正妻すらも、ここまでの部屋を持ってはいない。父が母のために作らせた、あらゆる金と富をつぎ込んだ奥の間だ。
しかしこの荘厳な部屋はモモに安らぎを与えてはないだろう。それどころか苦痛の巣窟だ。どれほど高価なものを与えても、どれほどの人間が羨む部屋を与えても、モモの望む自由には程遠い。
自分よりも一回りも二回りも小さな子供の自由を奪い犯すエイダンの姿は、第三者から見ればさぞおぞましい光景に映るだろう。
けれどもここにはエイダンとモモしかいない。遮断された世界に二人きりだ。どんな狂乱の夜を過ごしても、止める野暮な輩はいない。モモは監禁され、この部屋からろくに出ることも許されぬまま、動かぬ足を抱えた状態でエイダンに死ぬまで愛される。
エイダンの傍で、エイダンに抱かれ続ける。
こんなに幸せな事が、他にあるだろうか。
「あ……ァ、あす、てぃ……」
しかし、そんな幸せな世界はたった一言によって地に落とされた。エイダンの動きが止まった。
「許し、て……あすてぃ、ごめん、なさい……ごめ……」
エイダンを見ながら、怯えた顔でふるふると首を振るモモに湧き上がってくるのは汚泥のような昏い感情だ。エイダンの顔はアスティンによく似ている。アスティンをエイダンと間違えるのならまだしも、エイダンをアスティンと間違えることは許されない。
ここまでモモの体を砕いても、モモの中からアスティンの存在が消えることはないのか。鋭い痛みは怒りに変わり、一瞬で弾けた。
「くそっ……!」
「……ぁッ、ぅ゛」
がっと力を込めて両の手のひらで細い首を締め上げ、ぎりぎりと徐々に力を込めてゆく。小さな顔はすぐに赤くなった。
「モモ……俺以外の男の名を口にするなと言っただろう」
身勝手な事を言っている自覚はある。けれども、もうモモの体はエイダンのものだ。他の何人たりとも、モモの心に居座るのは許せなかった。たとえ壊れた心であってもだ。
もうモモはエイダンのものにならないと、わかっているからこそ。
すっと手を放す。強い圧迫によってしっかりと痣になってしまった首が、過呼吸のように震える。せき込んだモモが虚ろな表情で顔をくしゃりと歪ませた。
「呼ぶなら俺の名を呼べ。エイダンだ、わかるだろう?」
「あ……あぁ……」
「エイダンだ。呼べ」
ぐん、と、より一層体重を乗せて奥を穿つ。
「やッ……!」
「呼べ、モモ」
虚ろだったモモの瞳が、一瞬だけエイダンを捉えた。
「俺がわかるか、モモ」
「ぁ……」
「エイダン、だ。お前をここに閉じ込め、お前を抱いているのはこの俺だ!」
「あッ……んぁ、え、いだん……!」
「そうだ、言え」
「……え、いだん……」
「もっとだ、呼べ」
「エイ、ダンッ……!」
カラカラに乾いた喉からしゃがれた声を懸命に出そうとするモモを見てもまだ怒りは収まらなかった。噛み付く勢いのまま小さな口を塞ぐ。
「エイ……ん、んふ……」
わずかな隙間から酸素を求めてモモが口を開けた。そこにすかさず舌をねじ込み、丹念に中を嬲る。
苦しそうにうねるモモの喉奥に、舌を深く差し込んでは緩く吸う。溢れ出てきたものを一滴も零さないように吸いあげる。
「ん、う……ぅん」
モモが身を捩った。たぶん無意識なのだろう。エイダンはそんなモモの身体を押さえつけたまま口を離し、再び腰を打ち付けた。先程よりももっと激しく。
「あっ、ぁあ……ぁあアァ……ッ!」
モモの嬌声に煽られる。腰を抱え直し、穿つ速さを変える。ぱんっぱんっと肉が破裂するような音の隙間からモモのすすり泣きが聞こえた。
その泣き声に煽られ、より一層激しくなる。
最後に、抜けてしまうほど浅い所まで引き抜き、固い欲望を奥まで侵入させ熱い飛沫をモモの最奥にぶちまける。一滴たりとも零さず注ぎつくすため腰を軽く揺すれば、放出の勢いに合わせてモモの体がぴくぴくと痙攣した。
「ひ……ぁあ、ああッ……」
もっと注いでほしいとばかりに収縮を繰り返す内壁に搾り取られる感覚に、酔う。呆然と天上を見上げるモモに覆いかぶさりながら、中に放った白濁を未だ萎えることのない肉棒でかき混ぜる。
同時にモモも絶頂に達したらしい。虚ろな目を泳がせたまま小さく痙攣し、三度目の白濁液を零すモモを見下ろす。
モモの腕がだらりと下がり、ベッドの端から落ちた。エイダンはモモの頬を包み込み、ガラスのように透明な黒を覗き込んだ。
「モモ……」
かつては光り輝いていたその瞳には、今は何も映っていない。
あるのは、どうしようもないほどの深淵だけだ。今モモを抱いているのがエイダンであるということさえ、モモは忘れかけているのかもしれない。
モモはもう、以前のモモではない。モモの生まれた世界のモモタハルキは消え、この国を光に満ち溢らせたハルキも、アスティンの愛したハルキも消えた。ここにいるのは正気を失い狂ったモモだ。
モモの心を破壊している最大の原因は、エイダンだ。
二人の関係は何も変わらない。エイダンがモモの側を離れない限り。
そして、どんなに壊れたとしてもモモがモモである限り、エイダンはモモを手放せない。
「モモ、好きだ」
啄むように、愛しいモモの頬に口づける。瞼に、鼻の頭に、そして薄く開いた唇に。モモはぼんやりとした表情のまま、一切抵抗することなくエイダンの唇を受け入れた。もうエイダンを拒むことさえ疲れてしまったのかもしれない。エイダンはモモをぎゅうと抱き締めた。
「愛してる──モモ」
「……おれ、も」
ぽつりと零されたモモのセリフに苦く笑う。初めの頃モモに強制的に言わせていたこの言葉を、モモは今でもオウムのように返して来る時がある。それ以外の言葉には答えてはくれないくせに、それこそ正気を失っている時であってもだ。
──これは、嘘の言葉だ。モモはエイダンを愛してはいない。これ以上酷いことをされないように、エイダンの命令に従っているだけだ。そんなことわかり切っている。
「モモ、モモ……」
本当に愛しているのであれば自由にしてやれと人は言うのだろう。アスティンも叫んでいた、愛する人を苦しめて何が楽しいのだと。
「モモ……笑って、くれ」
モモが薄っすらを目を開け、ぴくりと頬を震わせた。しかしそれが笑みを形作ることはない。
エイダンとて決して楽しいわけではない。笑いもせず、日に日に衰弱していくモモを見て胸が潰れそうになることもある。こんな狂った男に愛され、家族の元へも還れなくなってしまったモモは本当に哀れで不幸だとも思う。
こんな人形のようなモモを望んだわけではなかった。出会った頃のような太陽のごとく明るい笑顔で、エイダンに笑いかけてほしかった。
しかし、それ叶わぬ夢だ。それでも手放すわけにはいかなかった。
モモにとってエイダンは不必要な存在だろう。けれどもエイダンが生きていくためにモモの存在は必要不可欠だ。モモが死ねばエイダンは死ぬ。しかしモモが傍にいなければエイダンは生きていくことすら出来ない。
例え、モモの腕がエイダンを抱き締め返してくれることがなくとも。
「俺を見てくれ、モモ」
哀願する響きを含んだ自分の声を内心で嘲笑う。
アスティンを殺して自由を奪った。これでモモはエイダンのものになったはずだ。けれどもモモはエイダンを見てくれることはなかった。
アスティンに心を空へと、持っていかれてしまったみたいに。
「俺を見てくれ、モモ──……」
モモからしてみれば、エイダンは非道な男なのだろう。世界を、自由を奪い、愛する者を殺し、無理矢理その身や心までも支配しようとする男。モモを壊してまで自分の物にしようとする身勝手極まりない男。
この世界に召喚されてしまったことを、きっと心の底から後悔していることだろう。
しかし、モモはわかっていない。エイダンはモモに狂ったどうしようもない男だが、その実、報われない恋に焦がれ続ける哀れな生き物にしか過ぎないことを。
モモの前ではエイダンは王でもなく、ただの愚かな男なのだ。
嘘でもいいから好きになって欲しいと。
モモの心と体を手折りながら、祈るように生きている。
「エイ、ダン……」
「ん……?」
「かなしい……ね」
はっと目を見開く。モモがじっとエイダンを見上げていた。しかしやはりその目はエイダンを見てはいない。懐かしい記憶を辿っているかのようだ。いつの頃を思い出しているだろうか、初めて喧嘩した日か、ともに国民の前に顔を出した時か、怖くて乗れないというモモを抱えて、共に乗馬をした時か、モモに教わったサッカーというやつをやってみたはいいものの、見事に足が絡まって転んだエイダンを指さしながら、モモが腹を抱えて笑っていたあの時か。
ぽつぽつと、エイダンの額から汗が落ちた。それはモモの眦に落ちつうとシーツへと沁み込んで行った。
「かなしい、ね……」
モモの小さな声に、エイダンはくしゃりと顔を歪め。
そうだな、とモモの首筋に顔を埋めた。
「今日新しい妃を迎えた。今から婚礼の儀が始まる。だから今夜はここに来られない」
窓から差し込む朝日に目を細める。側室を迎えた日は、王は必ず姫の部屋を訪れなければならない。一度の交わりで孕んでくれたのなら文句はないが、そう簡単にうまくはいかないだろう。これから数か月はさほど間をおかず、エイダンはモモの部屋と新たな側室の部屋を行き来することになる。
ベッドの中に顔を埋めていたモモはエイダンの説明にびくりと震えたが、それきり動くことはなかった。
顔は見えないが、今日は犯されることもなく自由でいられると喜んでいるに違いないだろう。
「とはいっても、十三王妃も懐妊したばかりだからな。新たな子はさほど重要ではないんだが……」
それでも、王の務めは果たさなければならない。アスティンという優秀な子どもを殺してしまったのだから、特に今は息子が必要になる。今エイダンには九人の子がいるが、六人が女で三人が男だ。
だが、三人の息子たちはお世辞にもアスティンほど聡明な子であるとは言い難い。
かつ今度エイダンの子を産む第十三王妃の腹で育っているのが男なのか女なのかも、今の段階ではわからない。残りの姫たちはなかなか子が出来にくい。新たな側室を迎えるのも、丁度よいタイミングだった。
『これで今の奥さんって十四人? はは、ハーレムって奴だよな。仲良くやれよ。エイダンのさ、全員を平等に扱って、しっかりこの国の王であろうとする姿勢がさ、俺は好きだよ──本当に、好きだよ』
新たな妃を含め、今現在のエイダンの妻は十四人だ。一人はエイダン自ら手に掛けた。
モモの大事な、そして実の息子であるアスティンと側室の一人を殺してしまった今、エイダンはモモの言う全員を平等に扱う男とは程遠い存在なのかもしれない。
だからこそ、かつてモモが好きだと心の底から言ってくれた過去のエイダンに少しでも近づくために、側室と子を成し国を治めるに値する聡明な次世代を残すことが、なによりも必要なのだと感じていた。
「……モモ。また、来る」
エイダンは服を着こみ、体を丸めたままシーツに顔を突っ伏しているモモの汗ばんだ背をゆるりと撫ぜ、そっと愛しい髪にキスをしてから部屋を後にした。
だから、モモがどんな顔をして部屋を去るエイダンを見つめていたのかも。モモが自由の効かぬ手をシーツに食い込ませながら、震えながら涙を流していたことにも気が付かない。
****
『エイダンのこと? 好きだよ』
からりと笑って見せたハルキに、アスティンはなんとも言えない気持ちになった。口元は笑っていても、その目は酷く哀切を湛えていたからだ。
『でも、俺、堪えられそうにないから』
『堪えられない、とは?』
アスティンはハルキのことが好きだった。許嫁のいる身ではあるが、ハルキのためならば王子という地位を捨て去る覚悟も出来るほどに。だからこそ気が付いてしまった。ハルキを目で追っていたからこそ、ハルキがいつも誰の背を熱く見つめていたのかも。
そして、アスティンを通してハルキが誰を思い浮かべているのかも。
『俺のいた世界……っていうか国ではさ、どんな人でも奥さんは一人しか娶れないんだ。もちろん旦那さんも一人。一夫一妻制って言うんだけどな。でも、エイダンには奥さんが沢山いる。もちろん、子どもも……』
その子どもの一人であるアスティンに、ハルキは困ったように笑った。
『ごめんな、アスティンの父親なのに、気持ち悪いよな』
『ハルキ、そんなことはない。むしろ父上はハルキを愛しているぞ。たぶん、どの妻よりも。僕の母よりもだ……そしてハルキも父上を愛しているんだな? そうであれば父上にきちんと想いを伝えれば、父上だってきっとハルキを正室にしてくれるさ。この国では同性婚は認められていないが父上ならどうとでも出来る。それになんせハルキは国を救った英雄だ、国民も異議を唱えることは』
『そうじゃない。そういうことじゃ、ないんだ』
緩慢な動作で首を振るハルキに、アスティンは口を噤んだ。ハルキの眉が、苦渋を湛えるように顰められていた。
『エイダンが俺のこと、大切にしてくれてんのはわかってる。俺のことを、そういう意味で好きだって思ってくれてることも。だけど、俺には無理だ』
『なぜ』
『エイダンは王様だ。王様は子供を沢山作るのが仕事だ。だから奥さんが沢山いなきゃいけないのはわかってる。でも俺は……』
ハルキが、ぐっと拳を握りしめた。
『きっと嫉妬で、狂っちまう……』
アスティンは初めてハルキの想いを理解した。ハルキは遠い世界からここへ召喚されたが故に、価値観の違いでエイダンと衝突していることもあった。一人を愛することが常となっている世界で生きて来たハルキにとって、側室を多く娶り子を成さなければならない王というのは、受け入れがたい存在なのだ。
たとえ王がどの側室、さらには正室よりもハルキをただ一人愛していたとしても。
王のそんな想いを、ハルキ自身が理解していたとしてもだ。
『エイダンが好きだよ。エイダンが好き……愛してる。俺、こんなに人を好きになったこと、なかった……俺さ、彼女だって出来たこともなかったんだ。クラスに可愛いなって思ってる子はいたけど、こんな狂いそうになるぐらいの恋なんかしたことない。こんなんじゃ、元の世界に戻っても俺、誰とも恋愛なんて出来ない……』
ぽたりと透明な涙を零したハルキに、アスティンは何も言うことは出来なかった。
『でも……だからこそ、エイダンとは一緒にはいられないんだ。俺以外の人と、そういうことするエイダンを、受け入れられない……無理だ、無理なんだよ……!』
嗚咽を零すハルキを、ただ抱きしめることしか。
『この想いを、断ち切りたいんだ。だから、俺……元の世界に還るよ、もう二度と、この世界には帰ってこない。堪えられないんだ、エイダンの傍に居られないんだ、だから』
『わかった』
アスティンは、震えるハルキの背を撫ぜた。元より自分の想いがハルキに受け入れて貰えるとは思っていない。愛しているからこそ離れる。身を切るような苦しみを抱きながらも。そんなハルキの王を想う気持ちに勝てるわけがない。
『ごめん、俺……俺、アスティンの気持ちに、気づいてたのに……っ』
『いいんだ。ハルキ。元の世界に戻れ』
ぽんと、ハルキの肩を叩く。
『二度と会えなくなるのは辛い。でも、ハルキには笑っていてほしいんだ』
『──アスティン、ごめんな……ありがと』
『ハルキ、幸せになれ』
顔を上げたハルキが、やっと笑った。涙で濡れて眉は哀し気に下げられていたままだったけれども。
ハルキは、自分の想いを王に告げることなく去ろうとした。
歯車が狂いだしたのはこの瞬間からだ。それが全ての始まりで、終わりだったのだ。
『エイダン! やめて、やめ──ッ』
父親が剣を振り被った最後の時、アスティンは絶叫するハルキに視線だけを向けた。笑うことは出来なかった。けれども最後に一言だけ、ハルキに告げたいと思ったのだ。
母を殺され、そして自分も今、実の父親に殺される。
ハルキへの愛に狂った父親に。
けれどもハルキをあの部屋から出そうとしたことを後悔はしていない。
ただハルキが、アスティンが死んだせいで自分を責めてしまうことだけが気がかりだった。アスティンが好きになったのは、誰よりも明るくて誰よりも優しくて──アスティンの父に真っ直ぐな恋をした、ハルキだったから。
──ハルキ、笑ってくれ。
そう口を動かしたアスティンに、ハルキが目を見開き唇を震わせた。
ぐいと父に前髪を上げられる。狂気を宿し冷たい目をした父が剣を振り被り、真横に切りかかって来た。
母上──父上、お許しください。僕は今この瞬間父上に殺されそうになっても、考えているのは殺されてしまった母上の事でも、父上のことでもなく、ハルキの未来だけなのです。
鋭すぎる激痛は瞬時に消え、あとは身が凍えそうになるほどの熱に変わった。
ごぼりと口から鉄の味が溢れる。呼吸が薄くなり、目も霞む。痛みも、苦しみもすっと消えていく。強烈な寒さに意識が途絶える瞬間、目に入って来たのは近衛兵に押さえつけられているハルキの泣き顔だった。
ハルキ、幸せになってくれ。笑ってくれ。お前の笑顔が大好きなんだ──ハルキ。
最後の声は、きっとハルキに届いたのだと思う。
「アス、ティン……ごめん、許して……ごめん、おれ」
少年は強くシーツを握り顔を埋めながら、虚ろな瞳で絶えることのない涙を流し続けた。
枷に繋がれた両腕と、力を入れることが出来なくなった両脚を縮こませて。
自分以外の人間と新たな婚姻関係を結ぶため部屋を後にした、誰よりも愛おしい男の残り香にしがみ付きながら。
──ごめん、アスティン。あれほど最後の最期まで、幸せになれと言ってくれたのに。
笑ってくれと、祈ってくれたのに。
「おれ……もう、笑えな、いん…だ……」
一人ぼっちの部屋で、少年は静かに目を閉じた。
これは、哀しい物語。
これは、誰よりも、他の誰よりも。
愛した少年を壊してしまった異世界の王の話。
コメント4
匿名1番さん(1/1)
めちゃくちゃ泣いてしまった…
切なくて悲しい…でも素敵な作品でした
ここからちょっとでも幸せになれることあるかな、あるといいな…
海斗48909さん
Twitterから来た者で読ませていただきました。
苦しいです。ほんとに泣くのを堪えるのに必死です。
話し合いさえできれば合点行くのに、
エイダンは自分だけがモモを愛してるかと思ってるけど実際はモモは同じぐらいエイダンを愛している。やっぱり平行なものは交わることがないのですね。
カチカさんありがとうございました。ほんとにめっちゃ刺激になりました。
ちょめスケさん
うわーーーーーーー!!!!!
少し読み始めたら止まらなくなりました。
相手を想う気持ちは同じでも、光と闇。陰と陽な2人は永遠に交わらないのですね……
なんて切なくて、悲しい関係なんでしょうか。
短い作品の中でもサブキャラ達も立っていて、一気に引き込まれました。
これは是非とも長編で、じっくりと読みたいです。
素晴らしい作品をありがとうございました!
匿名2番さん(1/1)
何回読んでも泣けます…
辛い…
もしあの時モモが満月の夜を過ぎてから帰る選択をしていたらアスティンは生きててくれたかもしれないけれど、モモにとっては嫉妬で苦しい日々だし、
もし満月を過ぎる前に帰れていたら、モモにはほろ苦い初恋の思い出で終わったかもしれないけれど、エイダンにはそれが耐えられなかった…
エイダンに他の妻がいることが耐えられないモモと、立場上子を沢山つくらなければいけないエイダンが幸せな結末を迎えるのは、難しい恋だったのかな…
モモがエイダンに正直に気持ちを伝えていたらどういう結末になっていたのでしょうか…
辛いお話ですがとても面白かったです。