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大人気スクールカーストBL【完結】!
この漫画大好きで、自分の今年上半期好きな漫画でNO1だったりします୨♡୧
好きな漫画が終わってしまうのはいつだって悲しい緒川先生が『ハッピーエンドです』と前々から公言していた通り大大ハッピーエンドでした✌️今までのしんどい時間をチャラにしてくれるような8巻表紙の刈梓ずっとずっとこの2人が見たかったんだよ〜!!。°(っ°´o`°c)°。
こっからは真面目に書きます✍️
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この作品のお話にはその人を取り巻くレッテルや自分自身にかせた役割があったりする。そのカーストの中で自分の立ち位置に沿った生き方をして、周りに合わせて誰かの揚げ足を取ったり、自分より下の人間を哀れむ事で自己の欲求を満たしているのかもしれない。
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でもそれが本当に自分の幸せなのか?誰かの上に立つ事で欲求を満たしているはずなのに本当の意味で心が満たされないのはどうしてなのだろう?
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1年生の頃キングとしてクラスを制していた梓。でもキングでいるにも関わらず梓はいつも毎日がつまらなかった。そんな梓が2年生で再度行われるカーストゲームでパシリに使っていた刈野に騙されてイジメの標的(ターゲット)にされる。刈野と梓は立場が逆転し、ターゲットになりプライドも尊厳も全てズタズタになった梓。それでも、梓に優しくしてくれるあつむや、なんだかんだ梓を守ってくれる刈野に少しずつ梓の心は満たされ、梓の人生に初めて色がついたように思いました。
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梓にとって、本当にほしかったものは見返りのない愛情だったのかなあ。キングだった時代は周りの嘘にまみれたお世辞に飽き飽きしていた梓だからこそ、ターゲットになっても優しくしてくれる事に意味を感じたのかなと感じました。
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2年生の文化祭の時、梓は刈野と屋上に行きロケットが飛ぶか飛ばないかで賭けます。そして、「飛ぶ」に賭けた梓が賭けに勝ち、梓が喜ぶと刈野は優しい表情で梓を見つめます。その時に梓は『もっと簡単な事なのかもしれない』そう思います。(5巻あたり)
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本当そうだと自分は思う!
カースト的立ち位置や承認欲求、自己の保身、全ては0か100で語る事はできないけど、多分、本当の意味で心を満たすという事は保身とか立ち位置とかじゃなくもっともっと、シンプルであることなんじゃないかなと思いました。
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梓は決して刈野のような裕福で権威ある家庭でもないし、弱さをみせてはいけないと強く念じて生きてきたからこそ、身分の違いすぎる刈野と自分が、ありのままでいる事などできないと思っている。でも、
『ありのままの俺でお前に触れていたいから』
最終巻の刈野のコトバから梓は一歩前に踏み出します。
『俺は可哀想じゃない、俺の人生は不幸じゃない、ずっと探していた。この人生を肯定するたったひとつのものを』
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これがこの作品のテーマの答えなんじゃないかなあと思いました腐女子的感覚でみてもエロとキュンが満載で万々歳だし、物語自体は社会的、道徳的テーマがしっかりあって学ぶことも多かったです私も修学旅行のところだいすき!
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最後も各々のカップル、総ハッピーエンドで本当よかった〜!仙崎×巽も結ばれていてホッ
カーストヘヴンは本誌で読んでいたのだけど、単行本は本誌で描ききれなかったラブシーンや番外編が追加されててかなり熱くなりました久世君ドロス歌うとか萌か〜!緒川先生には本当にお疲れ様の大エールを贈りたい、7年間お疲れ様でした
これからもずっと大好きな作品です
これまでの鬱々とした展開からどうラストに繋げるのか、ハラハラドキドキしながら読みました。
結局カーストゲームがなぜ行われていたのか、真相が明らかにならないため、モヤっとする部分もありましたが、若者の周りにはいつもたくさんの不条理や縛りがあって、でもそんな中でも自分の道を自分で選んで、歩いていくことなんだと感じました。
それぞれにそれぞれの戦いがあって、誰もが愛されたり自分の居場所が欲しいと思ったり。
正直もっと2人の甘々なところも見たかったですが、あれが2人の愛のカタチなんですね。
萌えというよりはもっと大きなテーマに挑んだ大作だと思います。
これでおしまい。果たして、本作は全ての解となったのか。読了した皆さんの考察を是非伺いたい。
カーストゲームはどこから来て、誰の思惑だったのか。それは結局分からず仕舞いで物語は終わる。
作者が本作に渾身の力を賭けて訴えたかったのは実はそこでは無い。と言った方が良いだろう。
若者達が、踠き、苦しみ、躓きながら。それでも自分というものを受け入れて、それを力強く乗り越えて行く。カーストで縛られたって。それは変わらない。自己の本質。例えるならば、「カースト」は抽象的で曖昧模糊としたものなのだ。およそ現実感が無いと言ってもいい。よく分からないもの、けれど何故か自分を縛り付けるもの、誰に強制された訳でも無い筈の課された「役割」。それは。実際には自分でむざむざと課した「役割」では無かったか。自分が「そうありたい」と願う在り方こそが、自分の姿。今の自分は、自分が自分で「選び取った」姿そのものなのだ。心のままに生きる、という事は実はとても難しいのかもしれない。ままならない事の方が多いだろう。けれど、「それ」は、いつだって自分で、自分の為に選び取って良いものなのだ。過酷な試練を経て、全員が巣立ち、大人になっていく。些か陳腐で使い古された言い方になってしまうが、これは青春の通過儀礼なのだ。
前作で小者感が半端なく露呈された江乃の過去も半端無くしょーもなかった。感受性が強いと設定されていた江乃は、幼馴染の神楽に傾倒し、依存する。神楽は自分に依存する江乃が恐ろしくなって、その手を離してしまう。そして呆気なく江乃は壊れてしまう。弱っわ。江乃、弱っわ。
前作で突如現れた大昇は、ターゲットにされた弟の仇と、江乃を刺す。江乃のエピソードはこれにて呆気なく終わる。
不意に脇キャラの京子の番外編が差し込まれる。修学旅行以降、メキメキと良い女風の京子は、最初はクイーンの取り巻きだったのが、彼氏自慢と化粧の話でマウントを取り合っている事に違和感を覚える様になる。自分の立ち位置は此処では無いと思い始めるのだ。女の子がドラムを叩くカッコ良さに夢中になり、自分らしさに気付いて行く。後は本編で描かれている通り。京子は脇キャラだが、このエピソードを挟む事で、本作を貫くテーマが非常に明快になっている。ただ、過去に京子はゆかりちゃんに執着されたが為に、八鳥にヤラレるという、小さなエピソードがある。彼女のしなやかな真っ直ぐさを思うとやるせ無い。
梓だけは。梓の強さだけは、変わらない。何者にもならなかったその強さ。ありのままの自分を肯定して受け入れる、潔さ。もちろん彼も苦しみ踠き続けた一人だ。カーストも無く、再びキングの座を手に入れるでも無く。ありのままの自分で、刈野と繋がる道を選ぶ。これまでにも刈野に激しく陵辱され続けて、疼く身体に作り変えられてしまっただろうに。愛し合い求め合う2人の姿は、激しさを増して、これが恋だと結論付ける。
これは…些か痛々しくもある。梓が掴んで、その手で燃やしたキングのカード。どういうわけか、キング不在のカーストゲームは再開される事もなく、彼らは卒業までをモラトリアム期間とされる事になる。
巻末には大人になった彼等に逢える。
父の地盤を受け継いだ刈野、いっぱしのジャーナリストを気取る梓。一番驚いたのは、あつむが母校の教師になったこと。
大人になったあつむは、柔らかくて可愛い。
彼がカーストゲームを終わらせる未来を予想していたけれども。始まりを予感させてそれは終わる。カーストゲームの狙いも、始まりも、実行委員の正体も明かされないけれども。この物語の帰結はこうなるしか無かったのだと思う。
私も愛する仙崎 × 巽 にも寄り添う未来が描かれている。ファンの要望が高かったみたい。
仙崎はおそらくは、巽を赦してはいない。巽は仙崎によって、心も身体も開かれてしまったと思うんだけど、巽の性癖に翻弄されているのは、むしろ仙崎の方。と、いうのが伺えて、それはとってもニクい。どんなに痛みを伴っても、それが彼等の愛の流儀なのだ。マゾヒストの気持ちは到底判らないけれども、彼等の悦びはそこにある。
人と人は交わり、点と点はやがて繋がる。壊れては結ばれ、結んでは解ける。彼等は成長し続ける、カーストゲームを経て。
あの残酷なゲームがまるで。必要だったかの様に。
有耶無耶にされてしまったけれど、実行委員側の思惑だったのか、どうか。やはり種明かしをして欲しい気持ちは残る。最初のヒリヒリ感を持ち続けられなかった事は悔やまれるけれども、実験的な意味を持って「神」評価を捧げたい。
完結おめでとうございます! ゲスな展開が続く空気の中でも1人で凛と立ち続ける梓の強さに魅了されっぱなしのシリーズでした。精神的に強い受けとして、私の中で彼に並ぶキャラを挙げるのは難しい。周りとの会話にヒントをもらいながらも、最後まで1人で考えて答えを出した梓。もちろん誰かに相談することも強さなのだけど、自分の過ちから始まったことだから最後は元キングである自分がケリをつける、という彼の強い意志を感じ、梓らしいなと惚れ惚れしました。梓を見つめる刈野の視線もとても穏やかで優しくて、ああ彼はこんな風に誰かを愛せる人だったのだなと。彼の冷めきっていた心が梓と出会ってどんなに色付いたかを知れて嬉しいです。梓は片親で親の職は水商売。今まで軽蔑か憐憫の目でしか見られなかったけれど、刈野はそういう面で梓を下に見たり、哀れんだことは一度もありませんでしたね。彼は早い段階から梓の強さを認め、肯定してくれていた。梓が刈野を受け入れていった大きな理由の1つでしょう。
このゲームは梓と刈野にどんな風に影響を与えたのでしょうか。梓はその境遇から甘えや弱さを見せることができず、とにかく搾取されないことに拘っていた。一方刈野は、周りの大人に子供らしく扱ってもらったことがなく、心から楽しいと思ったり熱中したりすることに出会えない人生を送ってきた。そんな2人が出会いゲームで立場が逆転して、梓が搾取される己に敏感になり苛立つのとは逆に、刈野は既に梓という熱中できる対象を得ていて、この時点で刈野に軍配が上がっているんですよね。梓には最初から分が悪い勝負でした(笑)。
「搾取されない」ようにするには、誰にでも権力を振り翳せる強大な立場を己が得るしか方法はないのか。そうではないはず。たとえば周りに頼ること。1対1では勝てない相手でも、味方を得れば勝てるかもしれない。味方というのは同志であって、同情してくれる人とは違います。あるいは今の状態に向き合って、自分を内面から変えていくこと。もちろん、自分に何も非がなくても理不尽な目に遭うことはある。でも、もし少しでも思い当たる所があるなら、そこを改善すれば状況が劇的に変わるかもしれない。梓は8巻を通して、じっくりそれを学んでいったのではないでしょうか。
ゲームの発案者は誰で、目的は何だったのか。最後までそれは謎のまま。悪趣味な暇潰しや、誰か搾取され続けてきた人間の復讐のようなものだったかもしれない。本当に皆が嫌なら学生全員で馬鹿馬鹿しいとボイコットすればいいのだから、そうならないのはやはり、ハイクラスへの憧れや、嫌いな相手をターゲットに陥れる快感を誰もが捨てきれないからでしょう。10代は皆愚かです。止めようと言えないなら参加するしかなく、参加すればたった1枚のカードで自分を評価される理不尽さを受け入れなければならない。ゲームとどう向き合うかはそのクラス次第。無理に纏っていた鎧が剥がされた時、また分不相応な鎧を得た時にどう振る舞うかは本人次第。
2-1には梓という絶対に芯が揺るがない生徒がいて、最も弱い立場に落ちながらも強くあり続けられることを証明しました。誰よりも最も強い鎧を得たがっていた彼が、最後は自らそれを手放した。本当に欲しい繋がりは、鎧を纏ったままでは得られなかった。全員ではないにしろ、彼の姿に感化された生徒もいましたね。彼らは地位や権力に振り回されないことを学び、結果的にゲームを上手く利用したクラスと言えるのかもしれません。強い受けが大好きなので、梓と刈野のやりとりにたくさん萌えたのはもちろん、1人の生徒がここまで変わり、また周りを変えた物語として、深く私の心に残ったシリーズでした。緒川先生と梓に心から感謝を。
遂に完結したカーストヘヴン。8巻で終了と聞いたときは「どうやって全部回収するの?」と愕きましたが、予想通りジェットコースターな最終巻となりました。正直なところ、この巻だけだと萌2かもしれませんが、これまでの素晴らしい流れと、人気作品をここで締め括る潔さに敬意を評して、神評価とします。
7巻で、想いが弾けてしまったカリノ。8巻は彼へのオトシマエからはじまる。病院に駆けつけ、カリノと対峙したアズサの『この世界のたくさんの格差が俺たちを阻むから』というモノローグが超絶エモい。下から見上げているアズサと、上から見下ろしているカリノの差が、よく現れている。でもそれは、変えられないものではなかった。他者承認によって、自己肯定感や有能感は、いくらでも変わる。
この作品の中で、メインとなる生徒たちの他に、キラリと光るのが、アズサの母だ。殺伐とした世界観の中で、アズサと母親の相互の愛情はいつでも揺らがない。数々の苦難を二人で支えあって乗り越えてきた様子が見て取れる。彼女があんな風に素敵な人でなかったら、アズサの選択もまた変わっていただろう。
カーストゲームを終わらせるため、奔走するアズサ。1巻では、近づく者すべてにキバを剥いていたアズサが、昨日の敵を抱きしめていく。自分が得た「承認」を他者にも与えていく。望むなら、まずは自分が与えること。ギブアンドテイクではなくて、まずはギブすること。本当は、誰もが怯えていて、誰もが誰かに認められたい。問題は、誰がそれを始めるか、だ。
最終話は、卒業後の彼ら。それぞれの職業が、らしくて良い。カリノとアズサは相変わらずで、両想いだとわかっても、競い合う(高め合う)関係は続いていく。
不穏な雰囲気が気になって読み始めた。生意気なキング(アズサ)がターゲットに堕ちて、いやらしく嬲られる様子を楽しんできた。しかし、彼らの生き生きとした姿に、すぐに幸せを願わずにいられなくなった。
この作品に出会えてとっても幸せです。きっと、これからも何度も何度も読み返す一冊!
(教育実習のやばいせんせーとか、回収されていない伏線もあると思うので、番外編とか短編でちょろっと帰ってきて、もう1冊くらい本が出るといいなあ…)