ボタンを押すと即立ち読みできます!
榎田尤利先生のデビュー作が、書き下ろしも加え上製本上下巻で復刊しました。
旧版は全5巻の作品なので、上巻には3巻の半分までを収録。「無自覚から自覚への移行」という、うまいところで区切ったよな~、という感じです。
表題作は、「小説JUNE」誌にて発表され、当時「文学的」と評されましたが、つまりは匂う程度で、具体的な恋愛は描かれていません。
全体を見通せば、魚住と久留米のラブストーリーに他ならないのですが、むしろ作者は、魚住の成長物語という枠を通し、様々な欠落や、それを埋めるに万能ではない「恋愛」や人との関わり、ジェンダー問題などを書きたかったのではないのかと思われます。
魚住という主人公は、姿形だけは美しいですが、浮世離れした性格の陰に様々な欠落を秘めた青年です。
本作では、多数の重要人物が登場しますが、彼らは「魚住の友人」というよりもむしろ、魚住の欠落の一つである「家族の喪失」を埋めるべく配された「疑似家族」と言った方がしっくりきます。
そう思って読むと、魚住の特異な個性は、「家族の喪失」に伴う「過去の喪失」がもたらした退化であり、言わば自ら張った羊水に浸かった状態で日常を営んでいるような乖離感があるのではないかと感じられました。
他方の主人公、久留米という男は、並外れて鈍感です。本人が鈍感たれと在る所もありますが、ガサツ、大雑把、様々に表現されながら、何よりもあらゆる事柄に対してニュートラルなのです。
それがどういうことなのか、というのは是非読んで実感していただきたいところですが、とにかく久留米は、非常識な魚住の世話を焼くことはままあれど、魚住を決して庇護されるべきものとして見たりはしない…絶対的な庇護者である母になったりはしません。
出産と死は隣り合わせです。痛みと、多くの血が流れる中、苦しみを伴ってやってくる命…さちのという母を得て、「メッセージ」はそういう意味では何と分かりやすい魚住の産まれ直しのメタファーであることか。
そうして産まれ出た魚住の傍らにただ立ち、彼が自ら痛みを受け止める様を見つめるラストシーンに、改めて胸が詰まりました。
出会った当時、魚住の欠落の一部は私のものでした。それは他の多くの読者の方にとってもきっと同じなのでは。
できれば最初は、10代のうち…もしくはなるべく若いうちに読んで欲しい一作だと思います。
本当の意味で歩き始めた魚住の物語はまだ続きます。
書影ではマットな白い表紙に金の箔押しタイトルと黒で印刷された著者名のカバーのみ写っていますが、実際はフルカラーの黄色系描き下ろしイラストの幅広帯がかかり、他も統一された非常に美しい本です。
そして、中のイラストも全描き下ろし…といっても、挿絵ではなく、カットと数点のイメージイラストという感じですが。
現在ではBLエンタメのプロと感じる榎田尤利さんだが、初期作品だけあって、自由に書いてる感がする。発表の場が今はなき小説JUNEということも無縁ではないだろう。最初は投稿作であり、人気を呼んでその後依頼原稿となったが、指導されたりはしなかった(自由に書いていた)といったことを作者自身が語ってらしたように記憶している。
文章も今とずいぶん違っている。まず、視点が漫画のように混在している(なのにスラスラ読めちゃう、不思議!)。
幼児期の虐待体験のため感情を喪失した魚住が、生きること感じることを取り戻してゆく、再生の物語、とでも言えばいいのか…テーマはJUNEらしく重さもあるのに、じれじれの恋も楽しめる。
キャラ立ちは凄い。みんな魅力的!!魚住、久留米、マリちゃん、サリーム…。読んでるうちに自分も心地よい仲間たちが大好きになってしまう。加えて攻めの久留米のヘテロっぷりがリアル。BL慣れした身には新鮮に思えた。
いうまでもなく傑作であるもののしかし、私は最初「メッセージ」のエピソード(死にネタ)がベタに思えた。そこにいたるまでのお話でどこか「文学的」というイメージを抱いていたからだろうと思う。
それでも物語が要求するエピソードであるのだろうし、
JUNE作品はある面「ベタ」さ「陳腐」さと無縁でいられないのではないか、とも思う。思春期の悩みや焦燥といったものが、かつてのJUNE作品には色濃く存在していた。JUNE作品は性欲持て余しかつセクシャリティに悩む(実年齢はともかく精神の一面が)未熟な、少女達の読み物であったのだ。
ベタさと混在する、例えば「マスカラの距離」(『夏の子供』収録)の洗練。----語り始めるとキリがない。この作品はJUNE末期、あるいはJUNE~BL移行期の金字塔的な作品であると思う。
連作短編といったつくりで、好きなときに好きな話を読めるのもよいですv
コミックは読み漁る割に、小説(ティーンズ文庫系というのでしょうか)には全く手を出していなかったわたしです。小説ではほのめかせる程度のBLが好きだったので。
こちらの作品は人からおすすめしていただいて読んだのですが、ストライクでした…。
薄幸の美青年魚住くんの過去や傷は壮絶です。シリアスな話は好きですが、これはなかなか重い。言い方はものすごく悪いのですが、「所詮BL」という見方から入ったので、びっくりしました。全体を通して、恋愛色よりも、死と生、生きるつらさや喜びといった命題の色が強かったように思えます。
久留米と魚住の恋愛に関して言えば、BLにはありがちの、「とんとん拍子」がありません。ハイ出会い、ハイ告白、ハイ揉め事、ハイ解決、みたいなわかりやすすぎる起承転結ではなく、もどかしくじわりじわりと面倒臭い恋愛です。一歩進もうとしては一歩退いて、曖昧な距離のまま求め合って離れてくっついて。
時にはさっさとくっつけ!と叫びたくなりますがこの絶妙な距離感が良い。特に一番はじめの章の久留米と魚住の距離なんて、これ本当にBLのくくりなんだろうかというほど。そこからゆっくり丁寧に発展していきます。
久留米と魚住以外のサイドキャラがとにかく素敵です。サイドとも言えませんね、みんな主要キャラです。礼儀正しく優しい外国人に威勢が良く面倒見の良い美女、世話好きの先輩などなど、本当にいい役割をしています。周りの人物あっての魚住。
特に個人的ベストCP(そういう言い方すると一気にBLっぽくなりますが…)は濱田と魚住…! 研究室の先輩である濱田のいい保護者っぷりが! すごくいい!
これはとても個人的な感想ですが、普段読むものが余白たっぷりの読者の想像におまかせします系だったので、ここまで書き込まれた作品にはただただ圧された感もあります。
魚住の設定にしても、登場人物たちの関係にしても、隙が無い。余白が無い。悪く言うならば「こてこて」。そこからこの作品の素晴らしさが生まれるのですが、なんといいますか、胸焼けしそうな感じもしました…(笑) 餌与えられすぎてお腹いっぱいといいますか…。
この作品は萌えよりも痛みを感じることの方が多いのではないかと。わたし自身萌えたかと言われるとうーん?と首を傾げちゃいそう。確かに魚住の色っぽさは壮絶ですし弱る姿もグッとくるものがありますが、それ以上のなにかがあります。
読み終わった後の余韻が凄まじく、「ああ……魚住くん立派になったな…ほんとに…大人になったな……」と母親のような気分になります…(笑) しばらくは日常生活に支障を来しましたね……。素晴らしかったです。
『夏の塩』『夏の子供』榎田尤利先生 読了
BLですって一言でくくってはいけない一作でした。これは愛と、孤独と、憎み、それから温もりで詰まった、生きる感覚を蘇る人間の物語なのです。
そもそもBLってなんでしょう。私のイメージでいうと、今時感が溢れる男、あるいは男の子たちの恋愛話にあたるものです。BLとなると、やはり個人的にある範囲のファンタジーが許されるので、それもBLの楽しみの1つなのです。
ただしこの作品はただの恋愛話なのか、というと、決してそうではないのだ。読んでいただくときっと分かりますが、作者がこの作品を通して伝えたいのは、決して男同士のラブの萌えだけじゃないです。
マリちゃんが言った。魚住は自分が受けた痛みを人にぶつかったりしない。ただしたくさんの痛みを経験したせいで、体の「免疫」が働いて痛感をなくした。それと一緒に生きる感覚すら忘れてしまった。
さちこちゃんが決定打ちでした。彼女の存在はこの作品の中では相当大きな役割を果たしました。感情の表し方や、外来感情の受け入れ方など、魚住は小さな彼女からたくさんの宝物を受け取りました。
魚住は、自分の周りの人間はどんどん死んでいくから、これからも大切な人が死ぬのが怖がっていた。ただし、死は人を脆くすることができるが、強くすることもできる。
榎田さんはこの作品で描きたい「つよいこども」というのはまさに、「失うものがあっても、同じく手に入れるものもある、悲しむことがあっても、同じくらいに愛もそこにある」、ということなのです。
魚住は最初から強かった。強すぎて「泣いていいぞ」「頑張らなくていい」と言われても意味がわからなかった。その強さが自分を抑えつけすぎて感覚器官が勝手に閉じてしまったから、周りの人々の「人間の温もり」で心が解凍されていくみたいな、そういう話でした。読んでいくと自分まで溶けてしまうくらい涙がボロボロ落ちてくる。
榎田さんの作品は初めて読みましたが、文章のきれいさが本当にのめり込んでしまいたいくらいで、1行1行目を追っていくと頭の中でちゃんと絵になってくれます。古い家屋の縁側に、夏の風鈴がチリンチリンとなっているのが聞こえるような雰囲気の作品で、色々と詰まった宝物箱みたいな一作でした。
最後は、本当に幸福が溢れるみたいな終わり方でした。みんなが自分のポジションを見つかって、これからも迷いながらも前向きに進んでいくという、カンペキではないけど、それでもカンペキなエンディング。
ふと思い出すあの言葉。人生は薔薇色じゃないけど、それほど捨てたものでもない、と。
なんと言っていいかわかりません。
興味深い、感動するようなお話を読むと、その感動を語りたくなるものだと思っていました。
この作品を読んで、逆に何も言いたくないということもあるのだなぁと知りました。
あらすじも分析も感想も、何も言いたくないのです。
不安定な器になみなみと入った透明な水を受け取った気分です。それをこぼさず波立てず、そのまま奥深くにしまっておきたい。そんな気持ちになりました。
BLというよりも文学です。むしろこんな作品もあるのならBLも捨てたものではないと思うのです。