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「人生を変えたBL」というコラムのお題が出てるのを見て、ふと悩んだ。 何かを見たり聴いたり読んだりして、人生が変わるほど大きな影響を受けるのって、若いときじゃないですか。 大人になると、悲しいかな多少のことじゃビクともしなくなるんだよ。感動はするがなかなか影響は受けないのだ。 感動で号泣した10分後には、漫才見ながらゲラゲラ笑える。 でも若いときは違った。 読んだ本によって価値観や趣味嗜好までもが大きく左右されていた。昨日左に大きく振れたかと思うと今日は右に大きく振れる。落ち着きないこと極まりない。 一冊の本をボロボロになるほど何度も何度も読むのもこの時期だ。 私は大人になってからBLにハマったので、そういう意味で影響を受けた作品は、残念ながら一冊もない。 恥部の暴露にもなるが、昔の私の影響のされ方ときたら、半端なかった。 『ホットロード』を読んでガソリンスタンドで働く暴走族に憧れ(今じゃあり得ない)、藤本ひとみのマリナシリーズを読んでフランスの高飛車な貴族に憧れ(シャルルは今も心の恋人)、氷室冴子の『なんて素敵にジャパネスク』を読んで平安時代に夢をはせ(私が大学時代に源氏物語を専攻したのは、間違いなく氷室冴子さんのせい)。 ちまちました影響のされ方なら、枚挙にいとまがないほどだ。 クイーンやドイルなどの昔のミステリーをたくさん読むうちに葉巻を味わってみたくなって、父親がこっそりコレクションしてた葉巻を試して肺に吸い込んで、あまりの苦しさに死ぬ思いをした挙句、涙目の父にこっぴどく叱られたり。(もう販売されてない高級葉巻だったらしい。おとーちんスマン) ある日突然「昭和の山の手のお嬢様風」のしゃべり方をしはじめて友達に奇異な目で見られたり。これは江戸川乱歩の小説のせいだ。 だいたい妄想癖も酷かったから、一人でいるときは常になにかしら妄想してた。 脳内で妄想するだけなら害はないけど、一人言を言う癖もあった。ぶつぶつ呪文のように何かを言いながら田舎の道を下校してる私は完全なる変人だった。 一人言だけじゃなく、ニヤケたり悲しそうな顔したり。 「むつこちゃんは百面相しながら一人言を言う」と近所で有名だった。 母いわく「当時オマエを頭のネジのずれた子だと思って心を痛めてた」 かーちゃんスマン。 これ田舎に帰るといまだに笑いのネタにされるんだよね。昔のクラスメートにも近所の人にもからかわれる。 消したい過去たち! …なんかテーマとそれた話を書いてる気がしてきたけど、気にせず書き進めよう。 こういうのって、年を取るごとに少しずつなくなるんだよね。 本に価値観を左右されることはなくなる。物語世界で自分を泳がせることもなくなる。 若いときからずっと本や漫画や映画が好きだという人間の多くが、そういう経緯をたどると思う(私ほど酷いのは稀だろうけど)。 そうなる理由は、どんな形にもなる柔らかかった価値観が、成長とともに固まってしまうせいだと思う。 感性が変容するのだ。良く言えば一歩引いた位置から物語を読めるようになる。広い視野が生まれるわけだけど、それは若いときにしか持てない感性を失うことと同義でもある。 「太宰治は若いときに読むべし」とかよく聞くけど、まさに至言。 太宰治だけに限らず、若いときなら感銘を受けてボロボロになるまで読んだだろう話も、今読むと「中二病やな~」と冷めた感想しか持てなくなったりして。 いつまでもこういう子供心を忘れないのって男の人に多いよね。物語世界の中にいつまでも「自分自身」を置ける人。 ヤクザ映画を見て肩をいからせた歩きかたで映画館を出てきたり。恋愛シュミレーションゲームが圧倒的に男性に人気なのは、そのせいじゃないかなとかも思う。あくまでも割合の話だけど。 これはけして悪いことじゃない。むしろ羨ましい。 だって、今も「これ、10代のときに読みたかった!」と思う本に山ほど出会うんだもん。 今ももちろん本は楽しいんだけど、圧倒的に楽しめてたのは絶対にその時期なんだよね。物語世界に自分を連れていける能力は、もはや今の私には無いに近い能力で、失ってわかる得難さなのだ。 まあ、そのせいで変人まっしぐらな子供だった私だけどさ。 今なら大丈夫なのに! 擬態する能力と引き替えに失った、圧倒的な妄想力が微笑ましくも懐かしい。そして苦々しくも恥ずかしい。 あああああ、過去の記憶を消す薬を下さい。 そろそろBLの話をしなければ。 そうやって私はいつからか、物語世界の中に自分を置くことがなくなり――たとえば、恋愛小説を読んでヒロインと自身を重ねることがなくなった。 完全な第三者の視点で読むようになると、恋愛小説が面白くなくなっちゃったんだよね。 ヒロインに自分を重ねられないと、「ケッ」と思うことが多いのだ。ロマンティックなハーレクイン小説も「はいはい良かったね」としか思えない。壮大なノロケ話を聞かされてる気分になるだけ。ときめけない。しょーもない主人公がイケメンの大富豪に無条件で愛されるようなストーリーだと釈然としない。 これが不思議なことに、BLに出会って、「恋のときめき」が得られるようになった。男同士だからだろうか、第三者視点からでも恋愛話を楽しむことができるようになったのだ。 あれほど苦手だった色恋まみれのストーリー、男女じゃ楽しくないのに、男男だと楽しい!ときめく! なので、人生を変えた一冊を選ぶなら、BLというジャンルに遅まきながら出会うきっかけとなった『窮鼠はチーズの夢を見る』だ。 もはや本によって人生が左右されることなんてないと思う大人だったのだ。 この本そのものに影響を受けて人生が変わったわけじゃないけど、この一冊をきっかけにBLの扉がパカッと開かれた。そして、BLというジャンルそのものに人生を変えられたと言ってもいい。 ミステリー一辺倒だった読書傾向がガラリと変わり、ひたすらBLを読み漁るようになった。 結果として――彼氏ができなくなったさ。 彼氏どころじゃない。 BLにハマって以来、キスした経験も一度だけだ。しかも仕事中だ。相手は初対面だった黒人さんだ。ふいうちキスだ。 こんなんがラストキスの記憶でいいのか。よくない。もっとロマンのあるものがいい。 この記憶を誰か上書きしてくれ! さらに、嘆いてるような書き方をしてるけど、実は嘆いてないのもミソだ。 彼氏が欲しいと思わなくなったのだ。 恋のときめきはBLから得られるので、満たされてしまうのだ。 リアルガイに割く時間があるなら、むしろ一冊でも多くのBLを読み、男×男にときめきたい。 こんな自分を肯定はしない。 病気だという自覚もある。 私の人生は『窮鼠~』を転機に変わった。 客観的に状況を見れば、確実に悪いほうへと変わった。1000人に聴けば999人に否定されるだろう。(私を肯定してくれる1人はきっと、オタな同類だね) あのとき『窮鼠~』に出会わなければ、今頃はパークハイアットホテルでイケメンの大富豪と“二度目の”結婚式をしてたかもしれないのに!(バツイチなのだ) 後悔してるかって? いいえ、してません。 してるわけねーじゃん!現状楽しいんだからさ~♪ 二次元ホモに萌えて生きる人生ヒャッホー!! このままいけば、老いさらばえて孤独死する瞬間に、「あのとき『窮鼠』にさえ出会ってなければ…」とはじめて悔恨の言葉を吐くことになるだろう。 いや、BLに本格的にハマったのはちるちるに出会ってからだから、「ちるちるにさえ出会わなければ…」と言い残すかも。 そうだよ! 私の孤独死はちるちるのせいだよ!! おし。総受けのヒロシ社長にもきっちり恨み言を残してから死のう。
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