主従/エロ濃い目/攻め視点
その晩もまた夢を見た。女のものとも少年のものともつかない高い喘ぎ声がひっきりなしに清司の鼓膜を震わせる。清司はほとんど覚醒していると言ってもいいほどのはっきりとした意識で、あの下男を想像した。
清司(せいじ)がその奇妙な夢を見るようになったのは、さる令嬢との見合い話が持ち上がった頃からだった。
気が付くといつも清司は、蛍が舞う月明かりの庭からその部屋を見ていた。苔むした沓脱石の上には小さな草履が揃えて置かれており、濡れ縁の先には裸電球がぼうっと点る粗末な部屋がある。一間ほど開け放した明かり障子の向こう側から聞こえてくるのは艶めかしい喘ぎ声だ。目を凝らすと畳の上に敷かれた薄い布団の上で、白い足先が打ち上げられた魚のようにぴくぴくと跳ね、悶える様子が見えるのである。
その声はひどく苦しげで、そのくせどこか甘く潤んでもいる。清司はいつもそれを幽かに喉が渇くような心地で見つめているのだが、その夜は少し様子が違った。反対の障子戸の陰から何やら禍々しい気配を伴った黒い影が音もなく現れ、悶える白い足先に向かってズズ…っと畳の上を這うのである。そこで清司はハッと目を醒まし、夜明け前の闇に目をさまよわせた。あのもやもやとした網のような影が、今もこの闇の中で蠢いているような気がした。
梅雨に入って間もない、どうにも鬱陶しい午後だった。空には重たげな雨雲が広がり、今にも降り出しそうである。
清司は生まれつき右目が不自由で、こんな天気の時には全てが霞んで見える。左目は弱いながらも視力があるので、眼鏡をかければ多少は視界もはっきりするのだが、それとて家業を継ぐに足るほどの精度に達する訳ではない。
清司の家は祖父の代から続く医院である。本来ならば長男である清司が父の後を継ぐべきところだが、目の障害のためにそれも叶わず、今は次男である秀雄(ひでお)が父の後継者として医院で働いている。
父の謙造(けんぞう)は業突く張りで、金の有る無しで患者を選ぶような人間である。決して善人とは言えないが、医者としての腕は確かで、医院はたいそう繁盛していた。秀雄も父に似て人情味の薄い人間だが、外科医としては優秀で、父の期待を一身に背負っていた。
清司も学業では優秀な成績を修めたが、後継ぎとして期待できない息子を父はほとんど顧みなかった。唯一清司を慈しんでくれた母も清司が十五の歳に亡くなり、以来清司は長い間孤独な日々を送っていた。一時はその鬱屈から酒や女遊びに溺れたりもしたが、それもすぐに飽きてしまい、今は心の赴くままに絵を描いたりしている。いわゆる抽象画と呼ばれるものの範疇に入るのだろうが、その色使いは独特で、見る者に不思議な静寂と何やら悟りめいた安らかな孤独を感じさせるのである。これが人づてに評判を呼び、画商が試しに数点を画廊に置いてみたところ、いずれもすぐに高値で売れた。今ではちょっと名の知れた絵描きである。
だが清司は望まれれば金のない者にも惜しまずに作品を提供した。清司の絵を見ていると心が落ち着き、気鬱も晴れるのだと言って皆ひどく喜ぶのだが、父に言わせれば「絵で病が治るなら医者など要らん」ということらしく、清司の活躍などまるで取り合わなかった。
だがそんな清司にもたった一つ、大きな利用価値があったらしい。隣町の大層な資産家の娘がどこかで清司を見初めたらしく、是非にと縁談を持ち込んできたのだ。清司は極めて見目の良い男だったから、これまでも何度も縁談があったが、父は色よい返事をしなかった。何故ならもっと良い縁談が持ち込まれることを期待していたからだ。そしてどうやら今回は父にとっても申し分のない相手だったらしい。清司の意向などほとんど訊かずにどんどん話を進めてしまった。早晩その娘と引き合わされることになるのかと思うとひどく気が重かった。
憂鬱な散歩を終えて屋敷に戻ると、廊下の水拭きをしている少年がいた。この家で一番若い使用人で、名は確か秋緒(あきお)と言った。数年前に女中頭の紹介でこの家に入ったのだがほとんど口を利いたことはない。年の頃は十六、七といったところか。色が白く、年の割に小柄で、いつも俯いているような印象だった。長い前髪が顔のほとんどの表情を隠しているため、その人となりも判然としない。
だが一度だけ清司はこの少年と言葉を交わしたことがあった。そのときに見た目はたいそう美しく、野暮ったい髪型で隠してしまうのが惜しいように思ったことを憶えている。
清司は家族が住む医院兼母家とは離れた別棟に住み、食事も女中が運んできて独りで済ませるのだが、最近になってこの下男が清司の身の周りの世話をするようになった。とはいえ清司はほとんど一日アトリエ代わりの洋間にこもって絵を描いているので、少年と顔を合わせることはほとんどない。だがいつも頃合いに用意された風呂や食事を見ても、この下男が清司に対して細やかな注意を払ってくれていることが判った。
清司はなんとなく足音を忍ばせ、一心不乱に廊下を磨く小さな背中にゆっくりと近づいた。と、気配を感じたのか、彼はハッと振り返り、間近に立つ清司を見て慌てて居住まいを正した。
「お、お帰りなさいませ」
まるで殿様でも迎えるような口ぶりに清司は苦笑を浮かべたが、次の瞬間ふと目を眇めた。
「……どうしたんだ、これは」
少年の首に紅い線状の痕がくっきりと残っているのに気付き、すっとそこへ手を伸ばすと、彼は怯えたように後ずさって、持っていた雑巾で首元を隠してしまう。
「何をしてそんなになった」
「ち、違います、これは」
少年はうろたえて目を伏せると、小さく失礼します、とだけ告げて逃げるように去って行った。
清司はその姿を目で追いながら、何故だか焦燥めいた思いに捕われていた。
その晩もまた夢を見た。女のものとも少年のものともつかない高い喘ぎ声がひっきりなしに清司の鼓膜を震わせる。清司はほとんど覚醒していると言ってもいいほどのはっきりとした意識で、あの下男を想像した。すると思いがけず身体の中心にじわりとした熱が生まれ、頭の奥が痺れるような心地さえするのである。
一方、例の黒い影は先日よりも更に濃い影となって畳の上をズズズ……と前進するのが見えた。薄暗い部屋の灯りを頼りにじぃっと目を凝らすと、影はまるで生き物のように滑らかな動きを見せる。それが真っ黒な人毛だと気付いた途端、烈しい戦慄が清司の背を駆け抜けた。
翌日は午後から急に雲が切れた。梅雨の晴れ間はことさらに日射しがきつく感じられ、清司は縁に佇みながら、両目をすがめて庭を見遣った。秋緒が庭の草木に水やりをしている。麦藁帽を被ったその後ろ姿はすんなりとたおやかで、眩い緑の景色の中で、どこか幻めいた儚さを感じさせた。
彼の頭にはいささか大きすぎる帽子は、清司が彼に与えたものだった。彼が奉公に来た年の夏は特に日照りがひどく、庭で作業をする彼の、白く澄んだ肌や艶やかな黒髪が容赦なく痛めつけられるのを苦々しく思って買ってやったのだ。その時の彼の、零れそうに見開かれた大きな美しい目を忘れない。
じっと見ていると、秋緒は清司に気付き、はっと目を瞠ったあと、ぎこちなく会釈をし、そのまま庭を出て行こうとした。清司は急いで草履をひっかけると庭に降り、秋緒のあとを追った。後ろ手を掴んで引き寄せると、彼はあっけなく清司の胸に転がり込んだ。
「あッ……」
「お前、秋緒といったな」
「は、はい」
「くにはどこだ」
唐突な質問に戸惑ったような顔で、秋緒は東北の地を答えた。なるほどこのきめ細やかな白い肌は、北国特有のものに違いない。産毛までもがきらきらと光る、白桃のような肌の光沢に清司は束の間見惚れた。まだあどけないような印象なのに、その白いうなじからは匂い立つような色気を感じる。
彼は「男」を知っているのではないか――。
そんな愚にもつかない想像が胸を衝く。
「あの、どうか、……お手を、お放しください」
今にも泣きそうな、か細い声に我に返る。
「……すまない」
焦って突き放すようにすると、少年の目が切なげに揺れた。その瞬間、唐突な衝動に呑み込まれそうになり、清司は振り切るようにして背を向けた。そのまま屋敷を出て、近くを流れる川のほとりまで歩き、川面をぼんやりと眺めた。
何故、「男」を知っているのでは、と勘繰ったのか。女ではなく、なぜ男だと。
いつのまにか遠くの空が再び翳り出している。その光景はゆっくりと日常を蝕む不安のように、清司の胸の内にひたひたと浸潤していった。
繰り返し見るうちに、清司もそれが夢であることを最初から確信できるようになっていた。怖ろしげな黒髪はいまや一間分は伸び、悶える足先を今にも捕えそうである。
喘ぎ声はいっそう甲高く、また今までにない悲痛な色を帯び始めていた。
清司は焦っていた。なんとか助けなくては、そう思うのに、その方法が判らない。
『ひっ、ひぃぃー、も、もう、堪忍し……』
苦しみ悶える声に、時折混じる絶望的な甘さが清司の鼓膜を打ち、焦る心とは裏腹に、下腹部が熱くたぎる。
一体誰が、あの者をあそこまで追いつめているのか――。
恐怖はいつしか、烈しい焦燥と苛立ちに変わりつつあった。
その日は夕方からひどい降りとなった。清司は寂れた酒場でヤケ酒に浸りながら、店の庇を叩く雨音を聞いていた。ばしゃばしゃと軒先から滝のように流れ落ちる雨は、完全に外の景色を遮断し、清司をいっそう暗く孤独な世界へと閉じ込めた。
清司が贈った絵を涙ながらに喜び、清司の訪問をいつでも歓迎してくれた老婆が先ほど息を引き取った。手術を施せば助かったかもしれない命だった。だが老婆には金がなく、清司にはその手術を施す術がなかった。『絵で病が治るなら医者など要らん』という父の言葉がこの時ほど清司を傷つけたことはなかった。
したたかに飲み、最後は店主に追い立てられるようにして店を出たが、酔いはほとんど回っていなかった。それどころか頭の芯が、いつも以上に冷たく冴えている。
雨で増水した川にかかる橋のたもとまで来ると、ひっそりと心細げに佇む小さな人影が見えた。まさかと思い駆け寄ると、果たしてそれは秋緒であった。大降りの中、貧相な傘はほとんどその役割を果たさず、寒さと不安のせいだろう、その顔はいつにもまして白く、強張っている。だがやってきた清司に気付くと安堵したのか、濡れて額に張り付く前髪を手の甲で拭いながら、花のように笑った。
「お前、どうして……、一体いつから!」
「傘をお持ちにならずに出られたようでしたから。この橋は必ずお通りになると思ったので」
そう言って清司のために急いで男持ちの立派な傘を開こうとするのを堪らず抱き締める。
「あッ」
清司の腕に捕われた細い身体はひどく冷え切っており、粗末なズボンの裾や、草履を履いた足はぐっしょりと濡れそぼっていた。何かたまらない気持ちになって、清司は喉奥を詰まらせた。
「……この莫迦、医者の家の者が肺炎でも起こしたらどうなる」
「はい、……申し訳ありません」
秋緒は清司の腕の中で身体を強張らせながら、震えるような溜め息を吐いた。艶っぽい仕草に惹かれて顔を上げさせると、秋緒はやるせないような目で清司を見つめ、それから清司の肩越しに暗い空を見上げた。
「どうした」
「今宵は、満月だと聞いていたのですが、……残念です」
帰宅し、清司が風呂からあがると、嘘のように雨は上がっており、神々しい満月が夜の闇を照らしていた。清司は珍しく眼鏡をかけて、その月明かりを肴にまた少しばかり酒を呑み、それからふらりと庭へ出た。
夜風が火照った身体に心地よい。見事な月夜であった。清司はふと先ほど橋の上で秋緒が呟いた言葉を思い出した。
と、少し先の垣根の向こうから、微かな水音が聞こえてきて、清司はふと目を遣った。ぼんやりと灯りの点るそこは使用人の風呂がある小屋だった。無意識のうちに足音を忍ばせ、清司はその垣根の傍に立った。
すると、開いた小窓の格子越しに、ようやく仕舞湯にありついたらしい秋緒がこちらに背を向けて湯浴みをしているのが見えた。桶ですくった熱い湯が、若く瑞々しい肌の上を零れ落ちてゆく。俯いた首筋には例の索条痕がはっきりと浮かびあがり、その紅と白い肌の対比の艶めかしさに清司は思わず息を呑んだ。
秋緒は少しためらったのち、ほっそりとした手を後ろに回し、尻の奥のひめやかな場所を指でまさぐり始めた。ほどなくあえかなすすり泣きと喘ぎ声が湯殿に妖しく反響し始める。それは清司のよく知っている声だった。
間違いない、あの夢で乱れているのはこの少年だ。だがいったい誰を相手に? 母家に住み込む書生か、筋骨逞しい車夫の連中か、それとも……。
見知らぬ男に嬲られて泣き叫び、乱れる様を想像してひどく取り乱す。それは胸を焼くような激しい感情だった。
その晩は無風の夜の蒸し暑さも手伝ってか、いっこうに眠りにつけず、清司は寝苦しい床の上で何度も寝返りをうった。無理やりに目を閉じれば、浮かんでくるのは秋緒の艶めかしい裸身と潤んだ喘ぎ声ばかりである。とうとう我慢が利かなくなり清司はバサリと蒲団を跳ねのけた。浴衣を乱暴に羽織り、眼鏡を掴み取ると、大股で部屋を抜け出した。
清司が住む離れの北側一番奥にある使用人部屋は、日当たりが悪く暗いため、秋緒が来るまでは長く空き部屋であった。庭の隅には小さな池があり、無数の蛍が舞っている。そして空には満月。まさに夢で見た通りであった。
明かり障子を開け放した濡れ縁の端に、白い浴衣を着た秋緒が佇んでいる。満月の光を浴びるようにして立つ秋緒は、まるで彼自身が発光しているかのような幻想的な美しさだった。だが一方でその装いは死装束のようでもあり、不吉さを拭えない。砂利の音を響かせながら、清司が庭の隅から歩み寄ると、秋緒がハッと目を瞠り、小さく口許を震わせた。
「清司、さま」
名を呼ばれた途端、甘い痺れが清司の身体の中心を駆け抜けた。乱暴に草履を脱ぎ棄てて縁に上がり、いきなり秋緒を抱きすくめると、激しくその唇を奪った。
「んぅ……ふ……ぁ…っ」
聞き覚えのある艶めかしい声にたまらなくなり、かき抱く腕に力をこめる。
「言え、お前は誰と契っている」
嫉妬にまみれた声が喉奥から洩れた。
「誰とも、だれとも、そのようなことは……っ」
「嘘を言うな、ではこの痕はなんだ、誰がお前にこんな痕をつけた!」
少年を押し倒し、裾の割れ目へと強引に手を差し入れる。
「ああッ、せ、清司さま!」
「下帯もつけずに誰を待っていた、今夜ここへ忍んでくる男がいるのだろう!」
「違います、あ、ああっ、お許しを」
股ぐらを激しくまさぐると、秋緒は悲痛な声をあげて身悶えた。まるで生娘を手籠めにするかのような興奮に憑りつかれ、清司は浴衣の前を乱暴に開いた。
「いやっ、はああっ」
吸い付くような肌にむしゃぶりつくと秋緒の身体は魚のように跳ねた。清司は自分が自分でなくなったような、何かに頭の中を支配されているような感覚に捕われながら、それでも欲望に逆らえずに尚も少年の口を激しく吸う。すると秋緒はぼろぼろと涙を零し、切なげに訴えた。
「お許しください、すべて、全て私のせいなのです……!」
それは煮えたぎっていた男の興奮をふいに鎮めるほどに、悲痛なものであった。
「……どういうことだ」
まだ荒い息を懸命に整えながら、清司は尋ねた。
「私は、……あの方と、怖ろしい契約を結んでしまったのです」
秋緒の話はこうだった。
ある晩、母屋の書斎に寝酒を届けようとした秋緒は、偶然、父と秀雄が清司の見合いについて話しているのを聞いてしまった。そのことが秋緒の心を激しく乱し、それ以来何も手に着かなくなってしまったのだ。仕事もままならず、食欲も失せ、日に日に胸が塞いでいくばかりだった。
そんなある晩、「其の者」が現れた。ひどく異様な姿に震えあがりながらも、『お前の命と引き換えに、何か一つ願いを叶えてやる』という其の者の言葉にすがりつきたい気持ちになったのだと。
「そして私にはもう、自分の本当の願いが何であるのか、すっかり判っていたのです」
「――」
「『たった一度でいい、あの方の、……清司さまのお情けが欲しい』そうあの方に告げました」
「馬鹿な! そのようなことに命を懸けたというのか」
清司がザッと蒼ざめる。
「私は天涯孤独の身です。死んでも誰も悲しみません。けれどせっかく生まれたのなら、せめて何か一つ、この世に生きたという証が欲しかった」
ひたむきな熱に触れて、清司は目を見開く。
「――ずっと、お慕いしておりました。あなたは無口であまりお笑いにはならないけれど、とてもお優しくて、温かいお心をお持ちです。あの帽子を下さった時も、ほんとうに嬉しかった」
秋緒は時おり上ずるような声で、懸命に言葉を紡いだ。
「ご自分も障害に苦しまれているというのに、常に人のことを考え、貧しい人や身体の弱い人にも親身で、美しい絵を贈っては彼らの心を随分慰めてこられたと聞いています。……こんなことを言っていいのか、けれど、町の人達は、清司さまがこの医院の院長先生だったらどんなに良いだろうといつも仰っているのです」
思いがけない話に驚く清司に、秋緒は弱々しく微笑む。
「男である私がこのようなこと、さぞかしご不快なことでしょう。ですが清司さまは私の憧れなのです。あの日からずっと」
その思慕がいつしか烈しい恋心に変わったというのか。あまりにも純粋で熱い想いを捧げられ、清司の心も熱く昂ってゆく。
「あの方は言いました。私があなたを夢に誘い、私の、……恥ずかしい姿をお見せすれば、あなたはきっと満月の夜に私を訪ねてきて下さると」
ハッとする。清司を見上げる秋緒の目は、月を浮かべて揺れる池の水面のように妖しく潤んでいた。
「そして、あなたは来てくださった――」
「はあッ、ああっ、せい…じ、さま…あ、ひあぁっっ」
両手首を紅い紐で縛られた恰好でうつ伏せにされ、高く上げた尻を清司に深く貫かれながら、秋緒が身も世もなく泣き叫んでいる。夢で聞くよりもずっとその声は淫らで生々しく、清司の欲望を底なしにさせた。
紐で首を絞めて欲しいと言ったのは秋緒だ。その方がよく締まって清司さまに悦んで頂けるのだと。どこでそんな知識を得たのかは知らないが、夢で秋緒を嬲っていたのが自分だったのだと確信できて清司は密かに溜飲を下げた。あれは多分、秋緒の願望だったのだ。自分の快楽よりも清司に悦んで欲しい、そんな健気な心が痛いほどに伝わってくる。
清司は首の代わりに秋緒の両手首を縛り上げた。すると秋緒はひどく恥じらい、そのくせ驚くほど敏感に清司の愛撫に応えてみせた。まるで女のように「そこ」をしとどに濡らすので意地悪くからかってみると、泣きそうな目で何度もごめんなさいと必死に許しを請うのだ。その姿が初心でいじらしく、清司の雄としての征服欲をひどく煽った。言葉で愛撫で、散々苛めてからようやく身体を繋ぐと、秋緒は可哀そうなほどにうろたえ、それから何度も何度も嬉しい、と言っては泣いた。
もうどれほどのあいだ交わっているだろう。月夜に白く浮かび上がる尻はいまやぐっしょりと汗にまみれ、清司の大きな両手に揉みしだかれながらぶるぶると震えている。
「どうだ、秋緒ッ、いいか、快いのか…ッ」
獣のようにのしかかり、柔肌のあちこちに口づけを降らせ、今宵散らしたばかりの蕾を、欲望のままに突きあげる。秋緒が泣けば泣くほど、烈しく揺さぶり、奥の奥まで征服してやりたくなるのだ。
「ああ、清司さまっ、いい、いいです、きもちぃ、あっ、あああーーっ」
秋緒がぶるりと震えて気を遣ると、今度はその身体を返し、真正面から挑んだ。散々いたぶられ、真っ赤に腫れ上がった乳首にまたむしゃぶりつくと、秋緒が惑乱して大粒の涙を零す。
「ひぃぃっっ、ぃやあっ、あ、あ、ああっ」
締まる尻穴に清司もいよいよ追いつめられてゆく。
「秋緒、……アキオ!」
「せいじさま……ッ」
汗と精液でぬめる身体を互いに強く抱き合いながら、今度は二人同時に極めた。一瞬、頭の奥が痺れ、目の裏が発火するほどの、それは恍惚であった。
奥を濡らされ、いまだ漲ったままの清司の雄を咥え込みながら、秋緒が過ぎる快感を怖がってぼろぼろと泣く。それが可憐で、可哀そうなほど愛おしくて、しかと腕の中に抱きながら、清司はあやすように何度も何度もその唇に、頬に口づけを落とすのであった。
空が白々と明るみ始める頃、清司の腕の中で秋緒が目を醒ました。間近で自分の寝顔を見ていた清司に気付き、激しくうろたえ身を震わせる。
「あ…、あ、申し訳、ございません」
秋緒は慌てて身を起こし、未だ微かに震える手で浴衣を身に着けると、清司の前に正座をし、両手をついて深々と頭を下げた。
「このようなことに巻き込んでしまい、お詫びのしようもございません」
清司は無言で身体を起こし、乱れた浴衣のまま胡坐をかいて、秋緒をじっと見た。
「もう、思い残すことはございません。お情けを頂戴したこと、胸に抱いて参ります」
「お前は死なない」
「え」
「契約は無効だ」
「……どうして、ですか」
「これは『情け』ではないからだ。俺はお前が欲しいから抱いた。だからその契約は成立しない」
「そ、んな」
秋緒が唇を震わせる。
「見合いの話は断る。俺はお前と共に生きたいと思っている。お前が俺を健気に思ってくれるその心が何よりも愛おしいのだ。お前のその優しさが」
秋緒は涙の膜が張った瞳をゆらゆらと揺らめかせながら、清司を見つめた。
「嫌か」
とんでもない、という風に秋緒が首を振り、涙が散る。
「……でも、あの方が、許して下さるか」
「許すさ、現にお前は今もこうして生きている」
秋緒はしばらく信じられないといった顔で清司を見ていたが、それから急に両手で顔を覆い、小さく肩を震わせた。
「……本当に、私などで良いのですか」
清司は秋緒の腕を掴み、胸の中へと引き寄せた。
「お前だからいいのだ。お前は、俺を孤独から『永遠に』救ってくれたのだよ――」
「其の者」はひどく禍々しい姿をしていた。地に着くほどに長い漆黒の髪が前後左右を覆い、見えるのはその毛先から僅かに覗く、蒼白い裸足の足だけだった。
「死神」だと、清司にはすぐに判った。だが不思議と怖ろしさは感じなかった。怖れている暇などなかったのだ。この者が消えてしまう前に、そして秋緒が目を醒ます前に、全てを片づけてしまう必要があった。
清司は開口一番、秋緒との契約を解くように迫った。理由は秋緒自身に告げたものと同じだった。
だが死神は許さなかった。直接頭の中に響くようなガサガサした声で、非情な一言を放った。契約はその者の願いが叶った時点で成立する。すなわち清司と秋緒が情を交わした時点で、秋緒は命の対価を得たのだと。
だが清司は引き下がらなかった。そして文字通り、命懸けの取引を持ち掛けたのだ。
『どうせあの者はそれほど長くは生きない。それが少しばかり早まるだけのこと』
死神が洩らした言葉に清司は食いついた。
『ならば余計に秋緒には天寿を全うさせてやりたい。その代り、秋緒が死ぬ時にはこの命も一緒にくれてやる。それならどうだ』
『ふん、お前の寿命はあの者の倍以上あるのだ。それでは釣り合いが取れぬ』
『構わん。釣りは取っておけ』
『むざむざ命を棄てるというのか』
『棄てるのではない。本当に「生きる」ために、不要なものを切り捨てるだけだ』
『――愚かな』
非難めいた言葉に、清司はどこか清々しいような思いで小さく笑った。
『それが人間てもんだ。あんたには解るまい』
死神はしばし無言でいたが、突然疾風が吹き抜けたかと思うと、忽然とその姿は消えていた。
その数日後、朝靄の立ち籠めるなか、清司と秋緒はひっそりと屋敷の門を出た。母家の者たちはまだ寝静まっていることだろう。旅支度をした二人を見咎める者はいない。
清司は正門に掲げられた医院の厳めしい看板をしばし見つめた。と、次の瞬間、これまで遮断されていた右手の視界が急に開けた。それどころが弱かった左目までもが随分と鮮明に周りの景色を捕え始める。
しばし呆然と立ち尽くしてから、清司は低く笑い出した。
「……釣りを返したか。随分と律儀な死神もいたものだ」
「え?」
不思議な呟きを洩らした清司を、秋緒が見上げる。
清司はただ笑って秋緒の麦藁帽子のつばを上げ、その小さな顔をまじまじと見つめた。
「――お前は、本当に可愛いのだな」
カアッと赤くなった秋緒にまた笑い、清司は大きな手で秋緒の背を促した。
「さあ、行こう」
朝靄の中を、肩を並べて歩き出す。一歩踏み出すごとに靄は濃くなり、いつしか二人の姿は白い世界へと静かに消えて行った。